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長男ポポロの歩み
のんびりマイペースなポポロはゆっくり歩いています…
ポポロの「シンフォニア13番」「月の光」
 

    ヤマハ以前

 ポポロの音楽との関わりは、おむつの時から始まりました。
1才になってすぐから、3歳児ランドに通いはじめたレモンのお付き添い。
母の膝で1時間待つのは大変でしたが、案外嫌がらずにポポロも楽しんでいたように見えました



    ヤマハ3歳児ランド

3歳児ランド、幼児科1年を見学していたポポロには必要ないかなと思いましたが、一応通うことに…
新鮮味がなかったのか、予想通り喜びませんでした(笑)



    幼児科

レッスンの中では、音当ては簡単に出来ましたが歌は喜びませんでした。
でも弾けるので楽しそうに通っていました。

 2年目になると私が飽きてしまい、通いやすい教室にかわりました。
水曜日の3時からでしたが、ポポロが通っていた保育園は3時まで…
レッスン毎に、ひと足遅れていくというやる気のない態度です(笑)

 幼児科と並行して2年目からは山○先生にピアノ個人レッスンを受けました。
保育園の登園前に毎朝20分くらい練習をさせましたが、特別嫌がりもせず淡々とピアノに向かっていました。
毎日のピアノの練習は我が家では当たり前のことでしたが、今振り返ると朝から練習はやっぱりちょっとヘンですね(笑)


    ジュニア科

 5月生まれのポポロは、幼児科が終わってもまだ年長さんです。
ジュニア科のsio先生のクラスにに1年通いました。
グループのお友達とエレクトーン・フェステバルに出場しましたが、「みんなで頑張ろう」という気持ちは全くナシ!(笑)。楽しそうに過ごしました。


 ヤマハの幼児科、ジュニア科は音楽教室用の、本体も椅子も高さ調節が出来るエレクトーンでレッスンします。
でも、エレクトーンの良さを活かしているとはいえないレッスンでした。
足下にある鍵盤は邪魔者扱い。
折角付いているのですから、たまには生徒に踏ませてみればいいのに1度も使われませんでした。
色々な機能も付いているのに、ただフツーに弾くだけ。
音色も入れないし、リズムを使うわけでもなく…
これなら、安いキーボードを机においてレッスンをするのと同じだと思いました。

エレクトーンはヤマハのオリジナル商品ですよね。
音大などでも電子オルガン科ができ、可能性は広がっているのに、音楽教室でもっと力を入れて楽しさや良さをアピールしなければ売れないだろうな…などと、余計なことを考えていました(笑)

歳児ランド終了コンサート
1992年4月29日
音更町文化センター
「しりとりあそび」
「幼稚園のお友達」




あららっ、足がブラブラしている…

山○ピアノ教室発表会
1993年10月2日
ベートーベン
「二つのエコセーズ」


基礎グレードミニコンサート
1994年4月4日
「さみしがりやのお人形」
「カントリーダンス」



エレクトーン・フェステバル
1994年6月26日
音更町文化ホール
「BBクイーンズメドレー」



3歳児ランドのお友達と
音更町の野外コンサートに出場

いつも先生のそばにいる
人なつっこいポポロです…
     ジュニア専門コース

 ジュニア科のレッスンでエレクトーンのボタンやペダルに興味津々だったポポロが、「ピアノじゃなくエレクトーンを習いたい」と言い出しました。

ピアノの音色が大好きな私は少し考えましたが、それでもあっさりOKでした。
レモンのあとを追うような歩みでは、新鮮味に欠け本人もつまらないだろうし、私も違う世界を覗いてみたかったのです。
それともう一つ、3歳児ランドからの4年間のポポロを見ていると、フツーに習うだけでは、のんびりペースから脱出できないと思ったのです。

 決して私はのんびり楽しむ音楽を否定しません。
むしろ音楽は本来そうあるべきだと思うのです。
でも、我が子には、長い期間かけて努力することの大切さを、音楽を通して身につけさせたかったのです。

で、ジュニア科は1年目で辞め、小学1年からジュニア専門コースへ。
J専は、入るために試験がありました。
でも、年中・年長とピアノの個人レッスンを受け、バイエルも90番位になっていたし、何よりポポロは耳がいいのです。
この頃には、テレビから流れる曲に会わせて、固定ドで歌うようになり、素人の私が気づかぬうちに絶対音感がついていました。
当時の私は、何故ポポロがこんな事ができるのか、全く判りませんでした…


 J専のグループレッスンはakko先生でした。
スタート時は6名で、男の子もエレクトーン専攻の子もポポロだけ。
グループの中では大目に見ていただける存在で…、
マイペースはJ専終了の4年後まで変わらなかったです(笑)

 初めの1年間は親がレッスンにつき合いました。
内容は驚く事ばかりでした。
まだ平かなも書けない子に、曲を書かせたり、伴奏付けをさせたり…
そして、音楽の難しい知識を詰め込み、宿題も山ほど出されます。

でも、子ども達はすんなりと消化していくのです…
子どもにはすごい能力があるのだなぁと感心ばかりしていました(笑)

ちなみに私の音楽に関するささやかな知識はこの1年間でポポロと一緒に身につけました(笑)
この1年を経験できなかったら、「音楽の森から」は作れなかったと思います。



    エレクトーンの個人レッスン

 個人レッスンのC先生は、当時厳しいと有名な先生で…
とっても心配でしたが、スムーズに始まりました。

ヤマハのオリジナル教材の「エレクトーンレッスン」とフロッピー付きの「ポップスタンダード1」を使ってのレッスン。

「ポップ…」に収められている曲を見て驚きました。
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
「ジャンバラヤ」
「シェルプールの雨傘」
「ウォーターメロン・マン」 等々…

正直言って、なぜ小学校1年の子にこんな曲を弾かせるのか疑問を感じました。
後で分かったのですが、エレクトーンは大人の楽器として広まっていて、教材自体が少ないし、ツェルニーのような練習曲も無いので、「いきなり名曲」「突然、大曲」になってしまうようです。
曲の難易度はアレンジ次第ですので、曲名だけ聞いても、演奏者のレベルは分かりません…

また、専門コースは毎年グレードを受けるので、すぐに9級の曲を準備します。
次から次へとステージと課題が押し寄せてくるので、日々忙しく、一歩一歩階段を上がるようなピアノのレッスンとの違いに、戸惑ってばかりいました。
 
北海道コンサートは、ライトがギンギンにあたり、しっかりとショウアップされていました。出場者は大人の方も多く、グループやコミカルな演出も多く楽しいステージでした。

  楽譜の通りに弾いてよっ!

 エレクトーンの特徴は、足元にも鍵盤があることです。
(フツーは左足で踏みますが、上手になると両足で弾く人もいます)

このベースがあるので、和音が少し変わります。
ピアノでドミソの和音は、足でドを踏み左手でミソドを押さえます。
このパターンがなかなか飲み込めず、左手の和音をよく間違えて弾いていました。
で、注意すると、「えっ??こっちの和音でも合うよ〜」と言うポポロ。
今度は私が「?????〜」です。

確かに、全体としては問題がないのですが、「楽譜の通りに弾く!」という、当然すぎるほど当然のことがなかなか出来ませんでした(笑)


   暗譜の苦労…

 エレクトーンは曲が長いのです。すっごく…
はじめての発表会の曲「オブラディ オブラダ」は70小節でした。
プログラムされたフロッピーを使うので、リピートの省略などは出来ません。
繰り返しを忘れたりはしょっちゅうで…

ある程度弾けるようになると、イメージトレーニングで暗譜させました。

C先生
エレクトーン発表会
1994年9月25日
六花亭ホール
「オブラディ オブラダ」


JOCフロアーコンサート
1995年2月5日
自作曲
組曲「北の森の運動会」
1、オープニング    
2,キタキツネの行進 
3,エトピリカの踊り  
4,エゾシカ親子の  
   雪中リレー



JOC地区コンサート
自作曲
組曲「北の森の運動会」


1995年5月
ヤマハ音楽教室
幼児科入講式
組曲「北の森の運動会」
より、4番を演奏


1995年5月21日
楽器店発表会
「Day by Day」





1995年10月1日
C先生エレクトーン発表会
「子象の行進」


1995年10月22日
ジュニア・フェスティバル
「スーパーマン」


1996年4月14日
楽器店発表会

交響曲第9番「新世界」より
第2楽章


1996年6月30日
エレクトーンフェスティバル
「クロノ・トリガー」
金賞・北海道コンサート出場


1996年7月26日
札幌サンプラザホール
北海道コンサート
「クロノ・トリガー」


1996年9月29日
C先生発表会
「バッハのメヌエット」


1996年12月22日
JOCフロアーコンサート
自作曲
「僕の町は鈴蘭の丘」


1997年4月13日
楽器店発表会
「エリーゼのために」


1997年6月22日
エレクトーンコンクール
「インディペンデンス・デイ」
銀賞


1997年8月31日
C先生発表会
「ニューヨーク・ニューヨーク」


1997年12月7日
JOCフロアーコンサート
自作曲
「電脳彩夢」


1998年2月15日
JOC地区コンサート
自作曲
「電脳彩夢」


1998年4月19日
楽器店発表会
「ワン」
   曲作り

 専門コースの3年目4年目は、月に一度の作曲のレッスンも受けました。
8小節のモチーフを AA'BAの形にして、同じパターンで何曲も書きました。
いつの間にか簡単に曲が書けるようになり、グループでは落ちこぼれ気味だったポポロが、のびのび楽しめたレッスンでした。

3年生の時、ポポロが書いた曲です。作曲のレッスンに追われ、夏休みの自由研究が出来ず、
これを作品にして学校に提出して誤魔化しました(笑)。



        …汚くて、読めない。今ならたぶん本人にも読めないと思います(笑)。

   仕様と価格

 エレクトーンの初めのハードルは価格です(笑)
もちろんその仕様によって安いのからすっごくお高いのまで様々です。
けれど、ステージで演奏するときは最高機種。
同じボタン、同じタッチ、同じ音色を考えたら、普段のレッスンでも同じ機種が必要でした。音楽教室では最高機種で当然ですが、家庭でもそうでしょうか…

 エレクトーンは演奏以前にFDへの入力が必要です。
けれど、小学生がこの操作が出来るかはとても疑問でした。
大人が読んでもチンプンカンプンの説明書。ボタンはほとんど英語です…
実際の入力は先生が自宅でされるので、生徒は家に立派なエレクトーンがあっても、使うのはもっぱら演奏だけ。CDでいえば再生のみです
子供用にレコーディング機能がない、格安の演奏練習用の最高機種を作ってほしいと、いつも思っていました。

 どのみち数年したらニューモデルになる運命のエレクトーンです。
周りの方も小学時代に2台3台と買い換えていました。
我が家は1台きりでしたが、でも、新しいEL900が発売され、130万円で買ったEL90はたった4年で旧タイプになってしまいました…。

 子どもの音楽修行が15年続くとしたら、初めの10年は、操作や入力は音楽教室で学び、家では練習をするための再生が出来ればいいと思うのは私だけかな。
エレクトーンは使い方を工夫すれば、色々楽しめるので多くの人に愛されてほしいです。でも、価格とモデルチェンジがそれをさせてくれない…
ひゃくまんえん以上するエレクトーンを、フツーの人に何台も買わせようなんて、どう考えても無理でしょう!


   無理なレッスン

エレクトーンの個人レッスンは、EL90でした。
グループレッスンのように椅子や本体が上下に動かないので、初めは椅子に座らず立ったままの演奏です。
これが案外難しい…

当時(小学1年)は身長120センチ位だったと思いますが、床から鍵盤の高さは80センチメートル。
右足で立ち、左足でベースを踏み、両手を鍵盤にのせると、まるでエレクトーンに掴まっているように見えます。
子どもは柔軟性があり無理が利くので、この体勢を苦にせず弾いていた子もいましたが、ポポロのように運動が苦手で体が不器用な子にはとっても大変でした。 

1年位して少し身長が伸びると、辛うじて椅子に腰をのせ、強弱ペダルには手製の高さを上げる台(我が家ではゲタとよんでいました)をのせて、その上に右足を置きました。
ベースを踏む左足は、力一杯伸ばしても届かない鍵盤もありました。
ちょっと頑張って伸ばすと、すぐに体勢が崩れるという有様で…
現在はピアノの補助ペダルのような、補助ベース(名前があやふやですが)があり、コンクールなどで見かけますが、当時は普及していませんでした。

結局、自然な体勢でエレクトーンを弾けるのは、身長がだいたい大人と同じ150センチを超えてからということでしょうか…



   
無理な教本


ポポロが専門コースの4年間と、その後1年半の個人レッスンで使った教本は、
ヤマハ音楽教室のテキスト「エレクトーンレッスン」1〜12までと、次の各教本です。

グレード9級に向けて
  エレクトーンサウンドファン3 「ポップスタンダード1」
グレード7級と8級に向けて
  エレクトーンサウンドファン12 「ビート・オン・クラシック」
グレード6級に向けて
  エレクトーンサウンドファン15 「ミュージカル」

J専終了後は
  「エレクトーンレパートリー5級」
  「エレクトーン クラシックスコア 加曽利康之」
  「エレクトーン サウンドインクラシック  ドビッシー」


本当にどれも難しかったです。
大人には耳になじんだ曲も多かったのですが、小学生が弾くにはあまりにも大人っぽくて、無理に無理を重ねて弾いていました。
もちろんこれらの曲を、それらしく弾いていた子どもも沢山いましたが、ポポロには似合わない…

腕前と年齢とキャラに合う教本に巡り会えなかったのも、エレクトーンに挫折してしまった一因になってます…




    エレクトーンを辞めた理由


1,楽器を買い続けることが出来ない

 楽器を習うのには、家にその楽器があるのが大前提です。
でも、高価なエレクトーンは2度と買えません。
このまま精一杯頑張らせても、必要な楽器を買えないのなら、その先に行き詰まるのは目に見えていますよね…

2,教本に巡り会えなかった

 「無理な教本」に書いたとおりです。

3,エレクトーンという楽器への疑問

エレクトーンの演奏は、音色やリズムを付けます。
このリズムがあると、華やかで一段と演奏が引き立つのですが、「うたって弾く」為には邪魔なんですよね。
フレーズの区切りなど、自然な感じでうたおうとすると拍にピッタリと合わないのです。
でも、機械であるエレクトーンに合わせなければなりません。
不器用なポポロはどうしても、息を詰めキチンと合わせることだけに集中してしまい、肝心の事が出来ません。
私はこの「息を詰めて演奏する」というのがどうしても嫌だったのです。
ポポロらしい息づかいで、心を込めてうたって演奏して欲しいと思っていました。

4,本人が気づいてしまった…

専門コースを修了してエレクトーンの個人レッスンだけになってから、ピアノの個人レッスンも4年ぶりに復活しました。
両方すると分かるんですよね…
必死に頑張ったエレクトーンは自分には向いていなかったと…
この頃から「将来は音楽の道に行きたい」と、気持ちがハッキリしていたポポロは、あっさりとエレクトーンを辞めてしまいました。


エレクトーンを辞めたとき私は、「選択を間違ってしまった」と悔いたのですが、本人の「大きくなってから、又弾くよ」の言葉にホッとしました。
確かに専門コースの4年間で身につけた事は多かったのですし…

エレクトーンの先生には「どうしても上達しないので、ピアノを習いながら、ポポロに向いている他の楽器を捜します。」と、正直にお話ししました。先生もうすうす察しておられたようで、暖かい言葉をいただきました。
本当に熱心にご指導いただいたので、先生には「不甲斐ない生徒で申し訳ありません…」という気持ちでしたが、反面「新しい出発よねっ!」と、ポポロと私は希望を胸に抱えていました。

 懲りないポポロと私の挑戦は続く(笑)



    ヤマハのグレード  

 ヤマハ音楽教室では、進級する毎にグレード試験を受けます。
ポポロが初めて受けたのは幼児科終了後の平成5年4月4日、基礎グレードからです。
その後平成6年12月18日 エレクトーン9級
     平成8年 3月17日   〃    8級
     平成9年 4月13日   〃    7級
     平成10年4月26日   〃    6級と、順調に進み小学5年で終わりました。

今後受ける予定はないので、6級で終わりです。

成績はだいたいA評価で、ポツポツとBもある程度でした。
今思うと、立派な成績だと思うのですが、ポポロ達たち専門コースの子に対して、先生は「オールAを目指して頑張りましょう!」と叱咤激励…
親もすっかりその気になっていたのか、あまり嬉しい結果とは思えませんでした。
もっと褒めてあげればよかったな〜…と、ちょっぴり反省しています。

 このグレードは、ヤマハという一企業が認定しているので、ヤマハの中でしか通用しないものです。
もちろん履歴書に書くようなものでもありません(笑)
でも、内容を考えると、演奏力だけではなく、即興演奏や初見、聴奏など、身につけると、一生音楽を楽しめるような事を試験されますので、とってもお勉強になります。
積極的にチャレンジされたら、ピアノ(エレクトーン)上達の糧となると思います。



    専門コース修了


 小学1年から4年生までの4年間は、必死にエレクトーンに取り組んだポポロ。
専門コースは個人レッスンとグループレッスンの両方がありますので、時間的には大変でした。
エレクトーンの演奏力は拙いままでしたが、グループで受けたソルフェージュのレッスンはポポロを音楽好きに育ててくれました。
伴奏をつけたり曲を書くのが楽しく、又、耳がいいと自信がつきます。
ひとつだけ残念だったのは、アンサンブルが苦手だったこと。
不器用なポポロは、他の子と呼吸を合わせるのが下手でした(^^;

というわけで、専門コースは4年間でおえることにしました。
他の子達は上級科(2年間)へ進むので、進級のお祝いとお別れ会をかねて先生を囲んでお食事会。
4年間という長いおつき合いがあったので、子ども達よりも、母どうしの方がお別れがたいものがありました。




    ピアノレッスン再開 

 専門コースの4年間で、エレクトーンに見切りをつけていた私は、終了後はピアノを習わせようと考えていました。
それまではヤマハで華やかな演奏をする子を見ていましたが、どう考えてもポポロには合わないと思っていたので、近所のベテラン先生にお願いすることに…

長く地域でご指導され、多くの生徒さんを育てた先生。
発表会も本当にオーソドックスで、毎年こっそり聴きに行っていました。
出演する男の子が、毎年毎年上手になるのを聴きながら、ウチのポポロもこういう風になってくれればと、期待を膨らませていました(笑)

ただ問題は先生がポポロを受け入れて下さるかどうかです…
小さい頃から、長い時間かけて子どもを育てている先生ですので、エレクトーンをしていて、ましてや5年生からの入門。

 まずは電話を…
予想通り、素っ気ないお返事を頂戴しました(笑)
でも、そんなことでは諦めない私。
1ヶ月後に再び電話を…
熱意と将来への希望を申し上げ、是非ともお伺いしてお話をしたいとお願いしました。
「では、本人を連れて1度おいで下さい。1〜2曲聴かせていただきます」とお返事を頂きました。

 小学校に上がる前の1年半の間ピアノを習っていましたが、その後4年間、全くピアノを弾かなかったので、家で特訓です(笑)
曲はごく普通にブルグミュラー(25)の、1番と2番を選びました。

 タッチの軽いエレクトーンでさえ、音がよろけるポポロ…
鍛えていない指はどうにもなりませんが、きっとポポロのいいところを理解して下さると信じて、先生のお宅へ伺いました。
結果はもちろん、「来週からおいで下さい」とのこと!

 先生のご指導と立派なキャリアに惹かれ、門を叩きましたが、先生のお宅が小学校の校区内にあるというのも、大きな魅力でした。
それまでは帯広市内の教室へ、レッスン毎に車で送迎をしていました。
ピアノだけでも、グループレッスンと個人レッスンの週2回を、2人分ですので、子どものレッスンだけで夕方は過ぎてしまう毎日でした。

入門から1年間はレッスンに付き添いましたが、そのあとは1人で行くようになり、少しだけ肩の荷が下りました
  エレクトーンの思い出

 専門コースの3年4年目はレッスンについていくのに必死になっていました。
EL-フェスティバルやコンクールにも出たので、普段よりは音量も大きめで練習。
そばで聞いていると、音がからだ全体に響いてきます。
それを聞いていると、20数年前の忘れられない思い出がよみがえりました。

 当時20才の私は釧路に住んでいて、友人と一緒に「コロポックル手話の会」に入っていました。
健聴者も聴覚障害者も若い人が多くて…
一緒にいっていた友人が聾者の青年に恋をしたんです。
その青年もまんざらでもないようで…
デートのだしに使われたのか、当時流行していたディスコに誘われ、数人で行きました。
実は「耳が聞こえないのにディスコ??…」と思ったのですが、聾の人も、とっても楽しそうにリズムに乗って踊るのです。
彼らは「これくらいの音量があれば聞こえる」と笑っており、聾といっても音量によるのだと知りました。
ガンガンと響く音楽にのって踊り、会話は手話で…

耳が不自由で電話は無理でも、ファックスやE-メールなど活用できるメカがあります。
音量がたっぷり出て、ヘッドフォンで個人的に聞けるエレクトーンを活かして、音楽も楽しんで欲しいと思いました。
ちょっと説明を…

現在は聾唖者という表現はせず、聴覚障害者といいますが、
当時は、
聾唖者ではなく聾者だと主張されていました。
「耳は聞こえないが、話すことは出来る」という意味です。
で、ここでは当時の通りに「聾者」といっています。

また、全ての聾者が大きい音なら聞こえるという訳ではありません。
たまたま彼らが聞こえたのです…
誤解があってはいけないので補足しました♪
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