日々雑感

[2・3]

山村留学の位置づけを考える

十勝はもとより道内の町村は、ほとんどといって良いほど過疎化の一途を辿っている。それも郡部になるほど厳しさが増す。
そういうところでは、小学校は地域コミユニティーの要である。
地域崩壊の流れに楔を打つとして小学校温存策が考えられ、手っ取り早い方策として都会から子どもを連れてくる。
今、全国で展開されている山村留学の多くがこのパターンだ。

その動機自体は別にいいと思う。しかし、それだけだったら問題である。
連れてきた子どもにどのような生活を与えるのか。
来る子どもにとって、親から離れてまで得るものは何なのかを、その子の立場から考えねばならない。
でなければ、都会の子どもを過疎対策に利用するに過ぎなくなる。
また、そのような小手先の対策で過疎化が防げないことくらい行政も承知だろう。
少しの間延命するだけで、いずれ、地域の有児童家庭が無くなるか、ボランティアの里親が年老いて疲れたということで止めざるを得ない。

そこの小学校の生徒が減ったのは、地域の家庭数が減ったからなのであり、その事に対する対策を講じなければ、根本解決にならないだろうに。
怪我をして血を流している人に、血止めの手術をせずに輸血だけしているようだ。
地域の農家が営農しやすい施策、新規に移住してくる者を誘えるような施策など行政サイドで出来ることを同時に進めて欲しいものだ。
そういう観点から取り組むことで、山村留学は単なる小学校温存戦術から、地域振興戦略の一つとして位置づけられるようになる。
 

<大地の学校>を誘致しませんか

<大地の学校>の拠点地を探して町村回りをしていたころ、常々感じさせられたのは、役場の方たちに町政の戦略的構想はあるのだろうかという疑問だった。
政治を考えるとき、国家百年の計、と言うが、まさに町百年の計として施策を考えているのだろうか。(ま、国政レベルもまた問題かも知れんが。)
町の振興が最大要課題なのです、といいながら、目先のことばかりに追われているような。
それも大概は施設の建設と外部からの商工産業の誘致だ。
町民の即時的欲求に沿うからだろうが、建物と道路ばかりが立派になって、肝心の住民はどんどん減っている経過をどのようにとらえているのだろう。
振興ではなく沈降だな。

さて、そんなことを愚痴っていても始まらない。
どこかに、自然教育の町という戦略を観れる町長さんや行政担当の方は居ないものか。そういう方が居られたら、是非お話したい。
<大地の学校>を誘致して、過疎地振興の起爆剤の一つにしませんか?

誘致と言っても廃校になった小学校や閉鎖した会社寮、離農した農家など、使わなくなって眠っている施設を貸してくれるだけでも結構。
経営はもちろん自己責任で展開します。
ここには、第2第3の<大地の学校>を始めたい人が集いつつ在ります。
山村留学を戦術的小学校温存策から、町振興の戦略に練り上げる話、乗ります!

(98年9月)
 

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