日々雑感

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小学校の人数が寂しくなってきたぞ

5年前に始めて農村留学を始めた時、小学校は6人の留学生を入れて全校5クラスで45人だった。
それが、今年は複式3クラスで計23人。5年間で半減した事になる。
更に、このままだと我家第4子の恵水が小学校に上がる頃は、10数人程度の学校になっているらしい。
この校区は99%が農家で構成されているが、その後継者が減って来ていることから児童数も減少している。
今後も少しずつ減りつづけて、増える見通しは無い。
町内外近隣地区の郡部は、どこも同じ現象のようである。

各地の山村留学推進団体では、宣伝文句に小人数教育の良さを絶対的価値のように言われる所が多い。
私もその良さについては同感だが、保育所ならともかく、小学校からは少なけりゃ良いというものではない。
<大地の学校>は、世間の統計上は山村留学というジャンルに入っているが、他の団体との立脚点の違いがこういうところで現れてくる。
どういう小学校に通うかは<大地>での活動の一つであり全てではない。
そして、子どもに必要な教育という立場に立つなら、今の小学校にこだわらない。
今までのところ、そして今後しばらくも、ここの小学校は理想的な人数の範囲である。
しかし、生徒が全校で5人や10人までになり、かつ地元児童が今後も増える展望が無くなったら、廃校にして他の小学校と統合した方が良いと思っている。
別のところでも書いたように、たとえ留学児童で繋いだところで、止血なき輸血状態であり、時間と共にそれを担う体制のどこかに無理が来るのは目に見えている。

ここらのような僻地では、保育所の頃から小学校を卒業するまで同じ顔ぶれの友達と過ごす事になる。
それは、まるで義兄妹とも言えるような、ほのぼのとした関係が作れるかもしれないが、一定の子達としか友達になれないことでもある。
人間関係の幅が変わらないのである。子どもは徐々に家庭以外のより大きな輪の中に関わって行くことが必要になる。
社会性を身に付けるという事だが、そのことを学ぶのも学校という場の持つ大きな役目だと思う。

もちろん、人数が多い方が良い、というものではない。
多過ぎれば、反って関係が希薄になるだけで、友達が多くなるというものではなかろう。
私が通った大阪の小学校は全校で1000人以上も居たから、知らない先生も居れば、会ったことも無い子どもだって居た。
そんなマンモス校に比べれば、もっと小人数校の方が良いに決まっている。

しかし物事には適性規模がある。
小学校の場合、その基準はどの程度なのだろうか。
人間関係面というより、教科指導や学校運営上の様々な事から取り沙汰はされているのだろう。
でも社会性の学習という側面では、おそらくは生徒の皆が互いの名前で呼び合える範囲だと思う。
人数で言えば1クラス10人から20人、全校で50人から多くて100人までじゃないのかなあ。
まあ、上士幌の街中に一つ有る小学校はもう少し多いのだが、全校10人になってしまったら、それよりは良いのではないかと思う。

昨年から町内各校区に有る保育所の統合が日程に上って来た。
以前過疎地の廃校を訪ね歩いていたら、どこの村も保育所から無くなり出したと聞いた。
そして何年かして小学校が無くなり、その後加速度的に住民の数が減って来たという。
全くのゴーストタウンになった村もあちこちに在った。
やはり僻地では小学校が地域コミュニティの要となっているのは事実であり、その砦が崩れた時、地域コミューンの崩壊が進むのだろう。
その意味で僻地住民が山村留学に躍起になるのは理解できる。
が、しかし防波堤の為とは言え、少人数すぎる学校に通わすことでいいのか。
このままでは10年以内に、ここの地もそういう岐路に立たされる時が来るのだろう。

(00年4月)
 

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