日々雑感

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国語・算数・理科・社会・スケート?!

大阪で生まれ育った私が、十勝の僻地に移り 住んで18年目になった。
この地での生活環境が、新たな私教育の場創りに適していると感じたからだ。
その名は大地の学校。
主に本州の子ども達を対象にし、夏休みに行う自然体験教室と通年で子どもを預り当地の学校に通う農村留学という活動を行っている。
その内の農村留学の中で気付いたことをひとつ。


大地の学校で初めて小学生を受け入れ、地元の学校に通わせたのが1995年からだ。
都会での大規模な学校生活しか経験していない私にとって、この地の小さな複式小学校は新鮮な出来事が数多くあった。
その中のひとつがスピードスケートだ。
冬になったら親が集まって、校庭にリンクを造り、毎日子どもにスケートをさせる。
ただでさえ冷える十勝地方の、これまた一番寒い時に子どもを薄着にさせて外に追いやる。
当時の私には、どう見ても児童虐待スポーツとしか思えなかった。
それも当たり前のように全員集合行事だ。
こんな非常識極まりのないことが現代の日本に存在することが驚きだった。
恐らく、私が生まれ育った大阪の人が聞いたら、ほとんどの人が私と同じ思いを持つことだろう。
 
しかし、世の中継続し続けているものには理由が有るもの。
スケートも然り、なのだった。

スケートをやりだした子どもは、ほとんどが スケートが辛くて嫌いだと言う。
当然だろう。
この環境下では、どう見ても辛い練習だ。
でも、練習すれば確実に上達してゆくのも確かなのだ。
スピードスケートは、タイムの速さを競うという子どもにも分かりやすい指標だ。
本州から来て、スケートをゼロから始めた子も、その子なりに確実に
早くなってゆくの が分かる。

また、うちの子は積極的にスケートの大会に 出すようにしている。
十勝では、だいたい1月から
大会シーズンになるが、農村 留学1年目の子も1月から出している。
と言ってもレベルの高い十勝大会。
もちろんうちの子は、惨めなもので圧倒的なビリケツだ。
それでも勝負を挑ませつづける。
「自分の子は遅くて、そんな大会に出るレベルじゃない」よく聞く言葉だ。
練習する子の数に比べて大会参加者が少ないのは、こんな考えの保護者が多いのだろう。
スポーツを分かってないなあ。
勝負の場に立つことで子どもの意欲は育まれ、その意欲が練習に繋がるのだ。
うちの子達も、圧倒的な負けを続ける中から、次第に少しづつ上位になり他者に勝つ喜びも得る。
そしてその繰り返しの中で確実に上達し、辛くて嫌いだったスケートが、シーズンを終える頃にはこう言っている。
辛いけど好きなスポーツ、だと。

私が農村留学を始めて今年で16年目。
初めに述べたようにやりはじめた当初は、私もこの地のスケートという文化にもひとつ馴染めず、今ほど多くの練習をさせなかった。
しかし、長年うちの子ども達を見てきて気付いたのだ。
これは天が十勝の地に与えてくれた格好の教育素材じゃないか。
極寒の中で鍛えられる身体と精神、嫌いなことが好きになるまでの過程で培われる我慢や忍耐力は、人の土台作りそのものだ。
これを生かさぬ手はない。
それ以後、我が家ではスケートは義務教育の基本教科に並んでいる。


好きこそものの上手なれ、という諺がある。
好きなことだから続けられて上手になるということだろうが、好きになれば続けられて上手になるということでもある。
教育現場の人たちに期待を込めてお願いしたい。
スケートに限らず、スポーツに限らず、子ども達に色々なことを好きにならせて上手にならせてあげて欲しい。
好きなことをやらせることだけが子どもの為と思う保護者が多い時代、教育のプロには、そういう技量を望みたい。
(10年6月)

 
 
 
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