教生ゴロ日誌 第2週



11月25日月曜日 今日のホームルームは赤穂教生によって提案された協同の態度について、岸田議長・仁田書記で行われたが話し合いの態度にまだまだ改めるべき点が多く見られる。流感でへばってしまってむずかしい顔してたのかH・Rの後石村君に「せんせ!怒っとん?」と聞かれて思わず聞き直した。教育者の立場として自分の気分よりも超然とした態度をとらなければならない事を教えられた。  男子組も今日のH・Rの成果あってか今度の女子組とのコンビネーションよろしく掃除もスピードアップされていた。どうも身長が違いすぎると反発を感じあうらしい。 教生二週目に入ったというのに自分の影の薄さよ。まだ私の名前を満足に知らない生徒が多いのには恐れ入った。仁田君も「このせんせの名前何だったかいな。」である。  今日快活な性格の玉置さんが欠席していた。金曜日に近藤さんが風邪で声が出ないと言ってたのが感染したのかもしれない。  三四講時の中村教生のナメラレッぷりの鮮やかな事。徹頭徹尾ナメラレッパナシであった。男子生徒は騒ぎ立てるし女子生徒は静かに折り鶴を折ってている。千羽鶴を折り続けるが如くに。そしてある女子は世界史の参考書を静かに読んでいた。教生の授業を無視した態度で。  五六講時の村上教生流石に板についた感じでやはりキャリアーは争えない。しかし慣れはいつもマンネリズムと相伴って来る。村上教生も今日位の授業が山では無かろうか。そうだとすれば非常に貧しい内容だといわねばならない。後藤先生の講話は全然意味の判らない内容一時間ぶっ続けを辛抱するのがやっと


11月26日火曜日  慣れとは怖ろしい。既に二週目の二日目ともなれば顔と名前をてんでバラバラ におぼえてしまったと言うよりも、記憶しようとする積極的な努力が馬鹿らしくなった。特異な例外無しに、今から二週間隔離されたら完全に半数以上は、忘却の彼方だろう。やはり私にはこの組をと言うよりも、教育実習を愛していないのだろう。教育者の試金石ならば、やはりあえなくもメッキをはがされた只の石ころに過ぎない。教育者を志す人々が如何に見せかけかどうかは別問題としても、頭脳程度の低い中学生と類似した考え方をする私にとって彼らの態度の微笑ましき事よ。生徒と共に考え共に喜びと言った根本的なものは欠けているにしても御機嫌の取り結び方の上手い事。私の態度なんか傲慢無礼生徒の気持ちなんか考えないかのように思えてくる。その様な環境の中の人間の心理の弱点として、私は、みんなの真似をしてややこしい事だが、愛する真似をする態度が、微かに芽生えて来かけている。人間としては悲しむべき事だが教生としてはどうであろうか。


11月27日水曜日  異常性格といえるかどうかは知れないが、私は、必要以上にアッタクに混乱を感じる。言葉を切る時、黒板に向かう時なんか自分でも自分の混乱が、目に見える。更にもう少しの間混乱が続くが、少しすると平気になる。教生仲間では私がアガルって言っても信じない。眼が冷たく光って無表情になるのだそうだ。湯浅先生から内向性の生徒だと言われて以来、犬伏さんを注意して観察して来たが、最初の内は不気味な程の猫っかむりと見える態度で、重っ苦しいフンイ気をただよわしていたが、今日の職業の時間に、浜田さんの万年筆のフタを授業中に転がしていたが、まさか私に見られているとは知らなかったのか、しばらくやっていた。私が見ているのを意識したが、やめなかった。その後、私の前でも友達と何か話し合ったりしていた。彼女もアッタクの面で、私とよく似ているのかも知れない。私の観察上、彼女は私と視線を合わしたが、その視線は弱小動物の小心さと物憂げな調子がある。彼女の態度の変化は急転直下に現れてはいない。徐々に現れて来ていたのだが、今日の変化はちょっと大きかった。まだまだ観察を続けなければどうなるかも判らない


11月28日木曜日  一二講時に参加をした。二回目の授業である。水川さんの引き出しの前板を作る為に必要な胴附き鋸を借りるのに大学へ行ったが、係りの人が来ていなかったので、借りて来れなかった。仕方が無いので両刃鋸で引いてやっていると、私の手のフルエを見つけて、「せんせ!手が震えてる!」と言われた。私は生徒の前に何回か立ったが、ちょっと変わった事をやる時は手が震える。それだから、今まで四時間の授業で、只の一字も板書をしていない。生徒の道具の使い方が非常に乱れている。正しい使い方を教えた筈なのに全然駄目である。教育者として、これ程悲しい事実はない。教育者としての失格を生徒から宣告されたのである。そして進度が四組一組に比して遅いのも気になる。三組に図工のリーダーがいないので精彩のないのになるのかもしれない。他の教科のリーダーになっている伊佐君林君仁田君が作業が進まない。更に重なる悪条件の一つに授業参観中の教生の態度にも一考を要する。美術科の教生によって手伝う場合は、大学で基礎教育を受けているが、体育科の赤穂教生が手伝うのを見ると、相当無茶な道具の使い方をしているのである。これでは折角正しい使い方を教えても水をさされる結果になる。元木さんなんか、道具の使い方を注意すると、「ほっといて!」である。全くくさってしまう。その上柴田さんが、のこぎりで水川さんが、のみで各々怪我をした。道具の使い方の悪さで起こるべき事が起こったのであるが、やはり事故は私の責任であるから全く残念である。授業内容も今日の作業と直接かかわりのないものになってしまったから、とに角私達の間での言葉で空転した事になる。講義は空転するし、作業中に怪我はするし、とに角最低の授業だった。 ホームルームの時の真鍋君の意見は、相当以上にふざけた態度であった。あれも一種の甘えの態度かも知れない。私の中学時代だって討議の場合は、真面目な発言をした事よりもふざけた発言をした記憶の方が多い。帰りに北原さんに下足箱の修理を頼まれた。いよいよ小使い同様にしか認識してくれないのだなと思う。


11月29日金曜日  今日は一年三組との接触がH・Rの時間だけであった。北原さんの下足箱のフタの修理をした。修理する前にどうなっているのか解らなかったので、不用意に「一緒に行こう。」と言うのを聞いた井上さんに「せんせ!一緒に行こうや言いよる!」と言って笑われた。如何に子供っぽいとはいえ彼女等にとって私も男性の一人に見えるのだと言う事を知らされた。北原さんの下足箱を直して帰る途中成績通知票を持って帰る井上さんにあった。井上さんが「下がった!せんせ。」と言ったが、その時私は、その言葉の意味が理解できなかった。彼女はさっきの話題から完全に離れて、自分の成績の事を話しているのに、私はまださっきの事にこだわっていた。彼女の考えてる事の飛躍に完全に置いてけぼりを喰わされた事になる。水川さんの怪我は大したものでは無いらしい。今日のH・Rの時間にホータイを指から取っていた。とに角怪我をした時から全然指を私に見せないのだからどの位の傷か全然解らない。


11月30日土曜日  今日は大学で 小学専門の授業がある。そんな事を考える時、ふっと大学へのノスタルジアにも似た甘い感じが胸をよぎる。四年間に四分の一近い人々が入れ替わる大学がどうして恋しいのか知性ではちょっと判断しにくい。親友もいないのに大学への親しみはどこから来るのだろう。私は今まで小学も中学も高校もそれぞれ郡部のちっぽけな学校ばかりを経て来た。母校に対しての母校愛と言えるものを、大してもちあわせていない。しかし私が徳島大学へ入学した時のみじめな気持ちみたいなものを一生に味わう人も少ないのではないかと思う。京都美大への入試失敗による極度のフラストレーションと、同じ高校からの四中課への合格者が他に一人も無かったので唯一人の合格者になってしまった。見方によれば幸福と云えるかも知れないが私にとって極度のフラストレーションの結果自分が置かれた位置がどう言ったものか理解できずに、無性に友情を求めていたのである。かてて加えて私の語学力の貧弱さは、高校時代から自分でも認めていたが、大学生の間に立った時、対抗できる筈が無くフラストレーションによるノイローゼ悪化の傾向をたどっただけであった。私の今の場合その経験が役に立ってくれればいいのだが、この貴重な経験をどう活用して良いのか自分で見当がつかない。
 私はおめでたい性格の一つとして如何に自分が深刻に思い悩んでいても人から同情や同情に類似したものでも示された場合非常に浅はかにもうれしくなる性分である。教生の始めの頃は五週間で過ぎ去って行く旅人だからせいぜい五週間で消失するイルージョンにも似て夢にこだわる必要も無いと考えていた。しかし、私もある意味において、生徒達が認識してくれているのが解ると旅人の感じと思いつつも、おめでたい性格が、頭をもたげて来てしまうのを感じる。
 今日初めて三年Dコースの図工科の観察をした。さすがは有名なクラスだけあって質問もなかなかうがったのを出して先生を困らす意図が充分うかがえるものだった。次週はこの組を私がやるのだと思うとちょっと斗志がわいて来た。抵抗が大きい程やり甲斐があるのではないかと思う。三年Dコースなんかでは、心のつながりが全然無い。完全なるゲゼルシャフトだから思い切った授業をやるつもりになる。自分の組の場合は、どうもゲマインシャフト的な要素が、心の中を占めて何だか充分な態度が取れない場合もあるが、しかし便利な場合も多い。

  • 続く