12月2日月曜日 サイクリングの疲れで一般にげんなりしているサイクリングはどう考えても義理にも成功とは言えなかったと思う。赤穂教生の企画したプランは無惨にもくずれてしまった。生徒と教生の親睦といった面では収穫は何にもなかったと思う。結局骨折り損のくたびれもうけの感じだけである。
今日の木谷教生の授業は私が土曜日にやるのと大体同じ所なので参考になると思って観察したがやはりどうしても個性の相違からかついていけない面が多い。透視図の説明を誤ってしていた。私は観察で誰かが説明や板書で失敗した場合それがどうしても気になってどうしても自分の授業でウエイトをその失敗した所にかけ過ぎて肝心のテーマがぼやける事が多い。
12月3日火曜日 今日のH・Rの時間には大村君に完全に敬意を表すべきだったと思う。不真面目だと評されても仕方が無い。彼の純粋な精神には私の態度は不真面目だと映るかも知れないが私の態度をあえて真面目だとは言わないがそれ程ふざけたものだとは思わない。ずい分得手勝手な言い分だが私には偽善者ぶった態度よりも生の人間のままが良い。それでいて偽善者ぶった仮面の好きな反面もあるのを悲しいことだが自分でも認めない訳にはいかない。とに角彼みたいに実直で堅実な考えを持った者の前では私は一種独特の当惑を感じる。知性では計り知れない何かが直感的な反発の感情を否定しない。今や一年三組と言った窮屈な枠を否定することに努力してきた私はそれが徒労に終わったこといやそれよりもパシュラールのいわゆる反世界−退避の場所−になってしまっている。とりわけH.Rの時間や図工の時間はもう肩身がせまい窮屈な感じから解放される。自分自身にかかわりのないものの存在がすべて見えなくなるからだ。私自身は何もしないから周囲の(一年三組)の中に必死に自己を探求したりもしている。だから私が自分の巣の専有を実現するのはもっぱらH.Rや図工の時間によってである。だから他人に手伝わせるときでも自分も手を出したがる少なくとも監督−批評ー検査−、他人の働きで得られた自分の授業の結果を自分のものにしようとする。ささやかではあるが学級の管理から自分の社会的存在を引き出そうと徒労を重ねる。あたかも旧軍隊で上官の下帯洗いから便所掃除が初年兵の社会的存在であったように集団の強制力でどう考えても嫌なことですら先陣争いを繰り返さす程馬鹿にならない力でぐいぐい押しまくられてしまうのをどうすることもできない。教生と言った窮屈な枠の中で反世界をどこにも求められないのでこの間の土曜日の大学へのノスタルジアも案外ここから来てるのかも知れない。一種のセンチメンタリズムである。今までの経験は私にとってシジフォスの刑罰以上に残酷なものであったのに即ち私を育て培ってくれた小学校中学校も高校も卒業してからは赤の他人以上に他人行儀な態度で私をあしらってきた。センチメンタリストの過去の永遠化なんて全くの夢物語に過ぎない。それでいてノスタルジーが心から離れない。全く因果な性分だと言わなければならない。
今日は反省すべき軽率な発言を繰り返すらしい。三年のCコースの松谷さんだったと思うが職業の製図の問題の答案を見せに来て解答が正解かどうかを尋ねに来たときみんなと一緒に「ワイワイ」騒いで10点増しまでこぎ着けたまではよかったが松谷さんが帰ってしまってから「おかしい」と言い出して結局は振り出しに戻ってしまったがその時の彼女の顔はちょっと印象的だった。眼には涙さえ浮かべていた。後で聞くとクラスの女子中のトップになっていたそうである。無責任にトップを作り出すところだった。浜田さんの言葉よりも一時は強烈に松谷さんの表情が胸を打った。若い純真な魂を垣間見たように一瞬ギクリとなった。
12月4日水曜日 日誌提出で記入無し
12月5日木曜日 研究授業の参加を通じて言える事は今日初めて生徒の中に逃避した事を上げなければならない。今までの授業では生徒から逃れて教生の中へ反世界を見いだす傾向が強かった。研究授業ともなればどうしても逃避の場所を教生に求めるべくもなくやむなく生徒の方に向いていったのも自然かも知れない。そして結果は無惨な敗北になってしまったのも当然の帰結であるかも知れない。
批評会では敵意に満ちたあるいは好意のあるそしてピント外れの意見に悩まされたが湯浅先生の批評が
一番こたえた。実際の所を言って昨日の残業(?)はどう考えても失敗であったし、結果において生徒を無人道的に酷使したことになってしまった。事実私には息子・娘の帰りが遅いと言って心配する肉親の存在が現実的にピンと来ない無神経な面があるのを自分でも認めざるを得ない。その結果が昨日の残酷な残業になってしまったのかも知れない。それまでしたのに又授業内容の空転をやったのはヒューマニスト湯浅先生にとって許せなかったのかも知れない。しかし、そんな重大なミスの中で償いになるとは思えないがささやかな事件が起こった。ミス.メランコリックの犬伏さんが私に事務的でない(とりとめのないちょっと打ち解けた感じの)言葉を発したのである。彼女は想像してたほどメランコリックではないことが解った。
微に入り細にわたり佐藤先生には御高評を受けたが教育者としてそれほどの完全さを要求するのなら元々教育に対する情熱が冷却しきっているのだし、就職事情が悪化しているのも渡りに船だし、教育者として生き抜くことを断念したのがよいかも知れない。
こうなっては教生自体が空転しているとしか思えない。しかし昨日の残業は教育者以前の人間としても許せないことだと言うことが今頃痛切に感じ出した。昨日岸田さんにアドヴァイスされた時に気がついていればよかったのだが強引に押し切ってしまったのが悪かったたのだと思う。授業内容は如何に空転しようとも残業無しで最低の授業をやった方が人間としてまだしも許されるが、残業をやらかした上に更に最低の授業では人間としても教育者としても許されるべきではないのを悟らざるを得ない羽目になってしまった。私のように魚を食べない人は非情だという。自分の非情さは、自分では普通のことだから自分にゃ解らない。私の今まで隠されていた非情さが氷山の一角として現れたのだ。この非情と関係あるのだが、感謝の念がすごくキハクなのである。大学の先生に通知しなければならないのを完全に忘れてしまっていた。数学の岡本君の授業を参観して人並みの神経を持ち合わせていない私はどうせ現実社会ではかみ合うことのない歯の欠けた歯車であることを痛感した。
12月6日金曜日 一年三組の生徒が暴漢にぶん殴られたニュースを今頃になってようやく知った。どうしてこうも不運なのか自分でも嫌になった。責任の大半が私にあるのは明白である。誰か私に敵意を抱くものがいてあの事件を起こさせたのかと妙に勘ぐりたくもなる。湯浅先生は私が知らないでいるのを知ってか知らずかなにも話してくれなかった。責任観念はこう見えても人後に落ちない自負はある。ああした場合どんな処置を執ればいいのか自分の頭の悪さを恨みたくなるほど対処の方法に窮してしまう。私は通り一遍の謝罪なんて社会的にはどうかは知らないが私自身には無価値に等しい。謝罪された当人または家族は気が済むかも知れないが(非情に甘い見方だが・・・・・)私としては割り切れない気持ちがいつまでもつきまとう。そうした記憶力は異常なまでに私の場合は執拗にまつわりついて消えない程旺盛で忘却と言うことを忘却してしまうように思える。
12月11日水曜日 試験を真面目に受けている生徒達を見るとうらやましくなる。私は今までにファイトに満ちた試験を思い出そうにもおもいだせないほど試験にファイトが起こらなかったことばかりである。全生命力でファイトに満ち満ちた態度でおおらかに立ち向かった瞬間があったにせよ永続した試しがない。教生は元々ファイトを燃やして立ち向かった対象ではないが、それでも生徒達の純真なそして真剣な表情を見ると自分の態度の曖昧さが恥ずかしもくなる。試験がある度に感じるのだがどうして能力差が存在するのだろう。そしてどうして能力を測定する必要が生じるのだろう。教師が自分の教授内容の徹底度を一枚の薄っぺらな紙で調査する方法で生徒の能力を測定できるのだろうか?
12月12日木曜日 中山さんは今日も休んでいる。テストの前日から欠席を予告していたのだから病気だとも思えない。付属中学校の性格と言うよりも現代教育のシステムに対する見えざる・そして馬鹿げた反抗を試みているとしか解釈できない欠席である。それに比して大村君の欠席は不運と言うより外に言葉がない。大村君は不運で済むかも知れないが中山さんの場合は欠席という事実は二字では言い表し得ない複雑なニュアンスを含んでいるように思える。
彼女のことと底を流れるものと同一のものだと思われることがあった。今朝石村君に職業家庭科のテストの結果について勉強を勧める意味で点数の悪いことを告げた上に彼のライバル斉藤君の点数と比較したら途端に石村君が涙ぐんでしまった。松谷さんの場合といい今日の石村君の場合も私の不用意な発言が導火線だったとはいえ付属中学の生徒の性格の一面を感情の発露によって如実に私の前に展開してくれたものと思える。
松谷さんも石村君も成績がある程度優秀なだけであって根本的な問題は中山さんの場合も共通してテスト成績についてである。テスト結果にある者は喜びある者は悲しんでいる。喜びも悲しみも点数次第なのである。彼らは点数を目指して現在は生きているが点数が明確にテスト結果として現れない実社会にたった場合その結果が現れない故に生活に対する情熱をどこにも見出せなかった場合果たしてどうなるのだろうか?今の私みたいな惨めさを誰にも味わってもらいたくない考えに支配される。
佐藤先生が私の授業を批評して語ったことをその人が脚色して私に説明してくれた。それによると私の授業はひたむきな所もあるけど変骨であるそうだ。それに続けて地方の学校が私に向いていると言ったそうである。田舎っぺなのは自分でも解る。だから田舎っぺの都会偏重主義は都会では馬鹿にされるが田舎なら結構珍重されるといった風な意味のことを言って嘲笑されてるのだとしか解釈できない。これはある程度以上の真実を含んでいるかも知れないが考え方によっては許せない悪評でもある。
吉岡教頭の学校経営についての話の後前川講堂で就職について県の教育委員会管理課の人の話があった。暗い見通しの中で開かれたので聞いている人々は殺気さえ感じられるほどの真剣さであった。僅かな就職定員に自分こそありつこうと考えているのかと思うと苦笑が浮かんでくるのを押さえきれなかった。そんな私の態度を苦々しく思ったのかドングリ先生こと高橋教生がさして必要もない話を自分が就職できると思ってか熱心に首を伸ばして聞いているのを見て生来のいたずらっ気がおこって柔道のしめの真似で首の前に手を持って行ったら真剣な顔で怒気を含んで「真面目に話を聞け!」と怒鳴られた。案の定話が済んだ後でからんで来やがったがまともに受けなかった。そのおかげか今だにむしゃくしゃする。
教生期間中の感情抑制も容易じゃないが後一週間だと思えば気も楽だ。