教生ゴロ日誌 〜最終週


2月13日金曜日 図工期末テストの採点をした。悲しむべき事だが非常に成績が不振である。井上さん武久さんの見事な失点には同情よりも意味の解らない笑いがこみ上げて来て自分でも少し気が変になったのかと思えるほど発作的に笑った。その笑いがどう言った意味なのかどう考えても解らない。
私は以前から非情である。その非情さが普通の感覚では考えられないような動作を引き起こすことがある。小学六年の時だったと思うが足の不自由な人を見て「何だ!×××のくせにお化粧なんてしやがって」と言った覚えがある。後でその時の先生に説教を受けたが何言ってるんだとしか思わなかった。今日のH.Rの時間に欠席者の話を湯浅先生が話されていたとき真鍋君が「中山や へっ中山やナア」と言っているのを聞いた時何かギクンとした。彼に注意を与えたところで逆効果になるとしか思えなかったので注意しなかったが多かれ少なかれみんなの胸にそんな思いが去来しているのかも知れないと思うと暗然たる気持ちになってしまった。


12月14日土曜日 三年の図工テストで佐藤先生のプリントが同心円を書いてあるのがまずくて生徒は書きにくそうだったので空いているところにコンパスで書いてもよいと許可を与えたのに佐藤先生は自分の書いたまずい同心円の中に書けと指示を与えられた。如何に出題者だとはいえ少々横暴の気味がある。それに私が一応許可を与えてあるのに、それを無視して押し切る強引さはゼロに等しい教生の権威を失墜させるのに充分以上の効果がある。少なからず人権の侵害である。それに解答する生徒自身にとっても不親切なことは明白である。一年の図工の問題だってケチをつける訳ではないがオリジナリティーは認めるとしても決して適当な問題だったかどうだか疑問である。それよりも愚問だと断言する方が適当だ。一年一組の生徒で本立て制作の時打つ釘が全部外へ出て非常に見事(?)なのを作ったのが筆答試験で満点を取ったという笑えない事実がある。兎も角テストそのものについての基本的な疑問なのである。勉強が点数を増すだけの目的であった場合本当の意味の勉強の態度を二次的に産出してくれたならせめてもの幸いなのだが・・・・・・・・・・・・


12月16日月曜日 図工のテストを生徒に返した。予想していたことだが反応はアレルギー症状を呈している。蕁麻疹ならぬ涙を伴ってくるだけにどうも対処の方法に窮してしまう。蕁麻疹と同じく手を触れたくてウズウズするのに手を触れると途端に患部が拡がる特性があるのだから・・・・・


12月17日火曜日 芦住教生の授業はやはり平板である。それに言葉もやはりおかしな所がある。教材研究は不足しているとは思えないが余りにもオーソドックスで生徒にとっては可もなく不可もない授業になっているのではないかと思う。私の授業を引き合いに出されてはちょっと辛いが彼女の授業は社会科としては生徒の興味が末梢に流れすぎるきらいが強い。
私をとりまく空気が非常に悪化している。こじれたのを更にこじらせるには天才的な手腕があると言うよりも一度こじれたのを元通りに復元する力が私には前から欠けている。仲違いした友達はもうそれっきりである。しかし嫌われても良い徹底的に嫌うがいい。生半可な試験の結果で何となく嫌になったなんて許せる態度ではない。今日の掃除に立ち会った。教室の掃除だが男子組の不真面目さは目を覆わしめるものがある。あまりに度の過ぎた不真面目さに腹も立たない。自分の中学時代と比較してどうだろうか。しかし女子組も馬鹿なものである。なにも自分等だけで掃除する必要もないのに男子を非難しながらも自分たちで掃除をやってしまえば結局は男子が遊んでしまうのである。生徒の一人が日記に私の授業での怪我を取り上げて書いたそうである。内容は読んでないからとやかくは云えないがそれ程ショッキングな言い方をしたのかと思うとちょっとオーバーアクトの感じがして後味が悪くなってきた。
一年一組は青写真をやっている。それを見ると無性に腹立たしくなる。三組はまだ本立ての制作途中なのに一組はもうニス塗りも一応済んでいるのである。しかし青写真を作りながらの会話を聞いて同情もしたくなった。中村教生は非常にわがままだから放課後の作業で生徒の作品をあそこまで持ってきたのだから自然遅れてる人も出来てくる。遅れた者同志の会話で教生のモルモットにされた生徒の哀れさが無意識のうちににじみ出してきていた。こう書けば言い訳じむが私が非常に遅くまで研究授業の前夜生徒に作業を課した様に伝わっているらしいが私は正確に生徒を五時八分に完全に解放した。それでも作業の好きな連中(?)や律儀な奴が帰れと言っても帰らないのでほったらかしていた。七時まで帰宅させなかったなんてナンセンスである。私は一番遅い連中でも六時までには七号室を出ていったのを覚えている。何しろ生徒を帰した後でガリ版きりをやって40枚刷り上げて歩いて徳島駅へ着いて結構七時十二分発の汽車に間に合ったのだからどこから出たデマかは知らないが七時まで私が引き留めた覚えは全然無い。犬伏さん山本さん中さんの三人が掃除を手伝うと言って聞かないので手伝うのを黙認したが掃除が終わって犬伏さんの自転車のキーが見あたらなくて大騒ぎをしたがそれでも六時二十分までには村上教生の奮闘で帰ったと思う。それまで私の責任であるが早く帰れるものをキーを無くすなんて本当についてなかったんだなと思う。兎に角私が七時まで研究授業のために生徒を強制的に残業させたなんてデマは許せない。私が残業を強制させた以上に非人道的なものである。一組二組四組の生徒が五時過ぎても作業してるのを見ると彼らは幸福(?)だなと思う。三組が一番遅れているのを認めるがもう残業を強いる気力も失せ果てた。


12月18日水曜日 久しぶりにラグビーをした。それ程スポーツから遠ざかっていたわけではないからあまり苦しくはなかった。お家芸だと自慢できるタックルも二発成功した。私は今日のラグビー出場で授業時間にこじれた三年の男子と実際に肉体的にぶっつかりあってみたかった。副産物(?)としてこじれも結果においていく等か好転した様に思える。湯浅先生に言われたことについては今日はもう触れたくない。この事を考えるには余りにも感情的要素が多すぎるように思う。平沢君と日野君が喧嘩したらしい。原因は何か知らないが大人しい平沢君が日野君に竹切れで相当ひどく打たれたらしい。その上日野君は平沢君の自転車のキーをどこかへやってしまったそうである。平沢君にも同情はするが凶暴な動作を取ったからと言って日野君も憎めない。彼は情熱のハケ口を知らないのだと思う。成績向上の情熱を失っているらしい日野君にとって若い生命力のハケ口を暴力に求めたことは私に解りすぎるほど解るような気がする。


12月19日木曜日 一時間目のホームルームの時間の前に日野君に昨日のことを注意しておいた案に反して日野君は神妙に話を聞いてくれたので良かった。ケンカは中学時代には私もよくやった。そんな場合私がひどく痛めつけられたらみんなは小気味よさそうに私を眺めていたように思う。それ程中学時代は嫌われ者であったらしい。その時の中学校が単位修得学習をとっていたので教生が二週間ぐらい来ていた事があった。そんな教生を私は無関心で見過ごしてきたが数年後の私が教生になろうとは夢想だにしてなかった。私の中学校へ来た教生を私がどんな感情で見守ったか記憶に無い所をみるとやはり無関心だったのだろう。私もそうして付属中学の教生として生徒の誰にも深い感銘や記憶を残さず何回めかのその他大勢の一人として消え去る日が近づくのを身にしみて感じる時、幼い日母が父と別れて実家に帰る時祖母にその時母は言いたくも無かっただろう今までの礼と別れのあいさつをした時の母の顔を見た時の様などうしようもない気持ちがふっと胸をかすめる。


12月20日金曜日 前に玉置さんから聞いてそして又今日斉藤君の言った言葉「教生や先生で無い生徒やのに先生ってゆうたらええ気になっとる生徒のくせに。」聞く度にドキンとさせられる。私には直接言わないが玉置さんの場合は小笠原さんが理科の教生に頭をたたかれた怒りから出た言葉だし斉藤君の場合は何故だか知らないが例の調子で口をとがらせていた。直接言われなくても教生生活約一ヶ月で漫然とした態度に冷水を浴びせられたような気がする。都市生活者がお上りさんを見るように彼らにとっては教生は物珍しいがちょっと馬鹿馬鹿しい存在なのかも知れない。


12月21日土曜日 今日来て昨日湯浅先生が生徒に手伝って工作の残業をやられたのを聞いて何だか私の背徳行為に対する報復の裏切りをされたように何だか悲しい気持ちが先生に対して済まないと思う感情と裏腹に起こって来た。そして平手打ちを喰った以上にショックを感じた。私は佐藤先生がどうせ授業時間では終わりそうもない馬鹿げた大単元を生徒に課した反逆として生徒を一度佐藤先生のアドヴァイスを受け容れて酷使したことに責任を感じて生徒の作品は半完成のまま提出してもいいと考えていた。そして事実大単元指導案でもあと完成まで授業時間を二時間必要としていた。それなのに生徒は採点者の佐藤先生に屈服して私の完全なる敗北に導いてくれた。私が佐藤先生に問いつめられて唇を噛んだことも後で悔し涙にむせんだことも道化役者の感情の浪費だったって事に気がつく結果とさせられてしまった。


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  • こうしてゴロの実習は終了した。教生の多くは、学級のみんなから寄せ書きなんかを貰っていたがゴロは学級の全員に一言ずつ書いた手紙を渡した。当然のことながらゴロの手元にも予期せぬ返事が何通か届いた。
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