檜垣徳太郎・酪農ヘルパー全国協会会長を囲んで本事業の意味や課題、将来展望を率直に語り合う座談会「シリーズ 会長と語る」の第3回目をお届けしよう。今回は新規就農を目指して腕を磨いて来た若手ヘルパーたちの念願がかない、いよいよ酪農経営者として実践の場に飛び込んだ事例、そして間もなく就農という人の話題が中心である。ヘルパー同士の結婚という幸せな人生を踏み出した彼らは、楽しい環境の中で仕事に励んでいる。
 さて、今回は前号の「新規就農を希望するヘルパーとしての考え」を受けての後段場面であり「夢がかなったヘルパーたち」に、初めて体験した酪農の《実像》と今後の抱負を語ってもらったものである。前回同様、農林水産省・永村武美畜産経営課長(現・畜産振興課長)に司会をお願いしたが、すでにテレビでも放映されている。
出席者
檜垣徳太郎 (社)酪農ヘルパー全国協会会長。
小田 治義 福島県出身、帯広畜産大学卒業。北海道広尾町で平成8年4月に新規就農を果たす。29歳。千葉県出身の奥さんも鹿追町のヘルパー育ち。
広瀬 裕子 北海道別海町で新規就農した。千葉県出身、日大農獣医学部卒業。夫もヘルパーだった。1児の母。
高松 正忠 大阪府出身、中国四国酪農大学校卒業。岡山県ホクラク農協での経験を生かして夫婦で就農準備中である。27歳。
(司会)
永村 武美 (前)農林水産省畜産局畜産経営課長
〈敬称略〉



司会 前回、ヘルパー時代の思い出を中心に話をしていただいた皆さんに、今回は、ついに念願かなって酪農家となられた、またなろうとしておられる現状をお話いただきたく思います。このことは各地の現場でヘルパーとして頑張っておられる方々にも大いに参考になるでしょう。体験を通しての新規就農をめぐる話題、そして今後の夢などを自由に語っていただきたいと思います。話の口火として、すでに平成8年4月に就農された大先輩である小田さんから、一番苦労した点などから聞かせてください。 まず地元との折り合い

小田 一番苦労したことといえば、まず就業を受け入れてくれる場所探しですね。私は北海道鹿追町でヘルパーをしていましたから、できれば現地での入植が希望でした。そして離農跡地も見つかり、住宅も借金なしで購入していましたが、どうも地元のJAとの話し合いがうまくいかない。結局鹿追での酪農をあきらめざるを得なかった。
 二つ目は、広尾町でリース事業を利用して入植できるとの話があり、当初はうまく進んだのですが予算が下りなくて、想定していたより大分遅れてしまった。すでに40頭の牛を導入していたので、施設ができないうちに産み始めてしまった…。
司会 野外で、ですよね?
小田 そうです。搾る場所のも何もない状態でバケットというのは大変でした。良い管理ができないから、具合の悪い牛も出てくる。
司会 それが、何か月ほど続きましたか。
小田 う〜ん。うちの場合は牛舎の手直しも必要だったので、牛が導入された後で工事が始まった感じでした。8月に受け入れた牛を実際に牛舎に入れたのは11月だったから3か月の空白ができた。同じ搾るなら一気に入れて生産を上げたかったのですが…。
司会 3か月は大変だ。今、リース事業の話が出ましたが、これは農林水産省が進めていて需要もかなり多く、離農跡地などへの希望は毎年10人ちょっとあるというので順番待ちの状態のようです。それはそれとして小田さん、今75頭で経産牛50頭弱とのことですが、そうした困難から立ち直れましたか?
 例えば、リース料を払っていますよね。生活の法は、どうですか。
小田 うちの場合は、リース料は年間 300万円で広尾町で半額補助をいただいています。 150万円という金は大きい。入植してから2年半になりますが、想像していたよりは何とかやっていけてます。JAとは始めからの話し合いで最低でもリース料に見合う金額は蓄えてきました。
司会 それを実践するとは、たいしたものだ…(笑)。

就農希望多い酪農だが

檜垣 実際に酪農に新規就農したいという人は割と多いのですね。先日も大阪で全国農業会議所が新規就農についての説明会をやったが、 500人以上の希望者が来た。しかし本当に酪農がやれるのかとなると、資質もあるが疑問点も少なくない。むしろね、小田さんのようにヘルパーの仕事を通して技術や経験を身につけた人だからこそ就農できたということでしょうね。
司会 その牧場は引退された人のものなんでか?
小田 そうです。今でも同じ広尾町に住んでいます。
司会 いろいろ貴重な話をうかがいましたが。さて広瀬さん。あなた方ご夫妻が就農されたのはどういう農場ですか。
広瀬 規模は小田さんより小さいのですが、60haの草地があり、大きさからすればかなりのものですよ。
司会 4月スタートでしたね。どうですか。滑りだしは?
広瀬 はい。一期生の人からも最初は大変だと、小田さんの苦労と同じ話を聞いていましたから覚悟もありましたが、私たちは少しのんびりやっていこうと…(笑)。
司会 スタートをしっかり固めて入る。3か月もバケット作業というのは大変ですからね(笑)。
小田 実際、その辺が難しいところですね。何月から牛を入れるといっても施設が使える状態でないとだめですから…。その間に牛を入れないでいると生産が上がってくるまで時間がかかってしまう。
司会 よそから大根を買ってくるようなわけにはいかない…(笑)。やはり経験を生かして上手にやった方がいい。ところで小田さん。トータルで2年半後に買い取る形ということですが、どれだけ支払う計画です?
小田 牛も入れて大体 5,000万円くらいですね。

牧草の反収把握も大切

広瀬 私たちの場合も、それぐらいです。機械などの設備の状況でも違いますが…。
司会 最初の牛集めが大変なのでしょうね。
檜垣 広瀬さん所では、牧草の反収はどれくらいですか?
広瀬 …ちょっと分かりません。研修牧場にいた時も主人が草作りをやって、私は牛の世話をしていたもので、そこまで把握できないのです。
司会 それじゃ、ご主人に聞かないとね…(笑)。小田さんの場合は28haすべて牧草ですか?
小田 入植当時は半分がデントコーン畑で、残りが本当の意味での永年牧草でした。それを最初の年に全部更新したからエサが足りなくなってしまって…。どう見ても1年目は出ていく金が大きいですね。
司会 高松さんは岡山で就農を希望しているということてすが、このような点をどう見ておられます?
高松 やはり地域に対する愛着もあるので、地元での就農ができればと最初から考えていたのですが、今になるとちょっと…。自分が考えていた金額や返済計画の点からもそうですけど、酪農の置かれた状況、特に、ふん尿処理など環境問題にも投資が必要なので、状況が大分変わってきました。岡山での新規就農はちょっとシンドイかなって…。だから北海道にも目を向けています。
檜垣 あのね。北海道と内地では、どうしても入植に対しての考え方に相違があるんだ。北海道は集落との調和といった近隣関係に、さほどわずらわしさがないが、内地ではその点も良く考えてみる必要があるのですね。
司会 期せずして環境の問題が出されましたが、まったくそのとおりです。都市近郊ばかりでなく農村地帯も混住化が進んで、ふん尿処理をきちんとしないといけない。高松さんは北海道のような遠隔地からの情報を、どうして手に入れていますか?
高松 知人を通してですが、北海道開発公社に登録させていただいてます。
司会 そこからの情報はありますか。それとも順番待ちとか…。
高松 ドサッとは来ません。ボチボチですね(笑)。2、3件は来ていて現地にも行きましたが、今のところ折り合いが付かないでいます。
司会 決断のポイントは何でしょうね?

使いやすい牧場が決め手

小田 僕の場合、北海道でも十勝なら良い…(笑)。鹿追がだめなら広尾でと知り合いを通して情報を集めて会う約束をして出掛けていくんです。そこに役場もJAも集まってくれて物件を見せてもらう。今でも思いますが、入植した場所はそれほど条件が良いわけではない。でも受け入れ体勢が良いか悪いかは入植条件を決める重要な要件と思いますね。
広瀬 同感です。私も2、3件候補があったんですが、牛舎の造りとか配置を良く見て、古いものとか手を入れないと使いにくい所とかを見分ける。今の場所は見に行き、その場で気に入りました。天気も良かったので…(笑)。展望がとても素晴らしかった。それに装置のレイアウトも使いやすく、農地の60haが一か所にまとまっていたのも気に入りました。
司会 牧場施設などの価格も大きな要素になるのでしょうね。
広瀬 確かに、価格の面でもそうとうきつかったのは事実です。でも何とかやっていけるのではないかと…。
檜垣 高松さんはヘルパーをやっておられた奥さんの希望や注文もあったのでしょう?
高松 ええ。彼女は北海道でしたから…。でも具体的な希望とかこだわりはなかったと思います。
司会 小田さんの広尾町の場合には半額補助というものがあったけれど、広瀬さんの別海町の方はどうだったのかな?
広瀬 私の場合は、 300万円の支度金が町から出るんです。

酪農家も自立心を持とう

司会 酪農家戸数の減少を何とかくい止めたい、地域ぐるみで若い人たちを受け入れたいと思う気持ちは非常に強いんですね。具体的な場所を名指しで言う話ではないのですが、行政にしてもJAなど生産者組織も、それに対応する姿勢を明確にしてほしいということでしょうね。
 同時に、これは高松さんでしたか? 今の酪農は《オンブにダッコ》だと書いておられた。私が非常に感心したのは「酪農家はもっと自覚をして国際競争力を高めていかないとだめじゃないか」とはっきりいっていることです。あなたは酪農家の自立心について、どんなことでそれを感じますか?
高松 ヘルパーをやっていると、現場を見る機会が多いわけですが、実際にうまくやっている人たちは、もう能力的にも経営的にも相当に進んでるから競争力は十分についており、世界的にも高いところまで来ているんじゃないかと思うんです。
司会 確かに、酪農の支援策もいろいろ出来ていて、例えば加工乳の不足払い制度などは、檜垣会長が農林省の畜産局長をやられていた昭和38年当時に、すでに作られている。同時にリース事業のように私ども所管で始めたものもありますが、国なり市町村なりに、もっとして欲しいというものは何でしょうか。
小田 例えば海外に対する競争力の問題がいわれますが、日本の酪農に関する技術は確かに高いが飼料も高い…(笑)。資材にしてもそうです。それなのに牛乳の方は値下げを強いられているでしょう? これは理屈に合いません。他の部門を引き下げないで牛乳だけ安くしろというのは大いに不満です。

尊敬される農業を築こう

司会 まったくそのとおりです。われわれも要望は出しているのですが、なかなか思うようには行かない。さて、そろそろまとめに入りましょう。ヘルパーとして技術を磨き、配偶者を得て地域に受け入れられて行く皆さんですが、例えば良き配偶者に対する一言は、いかがですか? 広瀬さん…。この収録、ご主人も見ておられるでしょうから(笑)。
広瀬 のんびりタイプの主人ですが、一つのことを考えつくと、それが解決するまでとことん集中してしまう。それが良いところでもあるのですが…。
司会 では主導権は、あなたが?
広瀬 「五分五分」ですかね(笑)。
小田 私の家内は、ふだんはちょっと頼り無い気がしなくもない…(笑)。でもオランダで1年間、実習で苦労してきたことで、芯はしっかりしているのじゃないかと。また、そうでないと酪農家の妻は勤まりませんよ。
高松 私にとって嫁さんは唯一、最高の財産!(笑)。感謝しています。
司会 いやはや最後に、お3方からノロケを聞いてしまったかな…(笑)。
檜垣 3人の方から農業への注文、提言をいろいろうかがったが、どなたもしっかりした技術と信念を持たれている。これなら相当な規模で就農されても希望が持てると思いますね。先年開かれた国際農業経済学会で、こんな話が出たんだ。21世紀の農業はおそらく世界から尊敬される産業になるだろうということで、参加した会員の意見が一致を見たのです。これからの食糧事情はそうとう変わってくるだろう。農産物価格も、むしろ今より高くなるはずだとの意見も出ていたが、私も同意見だった。おそらくそうなるのではないかと思っています。
司会 ぜひとも、そうなって欲しいですね。どうもありがとうございました。