こんなに汚れた日本、地球だけれど
「森の精」はできたものの、その効果は破天荒なもので、これまでの科学知識ではどうにも説明のつけれない事例が山ほどありました。
どう考えても不思議な、自然そのまんまの「シイタケ酵素」が引き起こしているとは思えないほどの、珍現象、快現象、怪現象の数々。
その度に、私はうろたえました。
『一体、オレは何を作り出したのだろう?』
結局は最悪の結果がなかったから今日まで続けてこれたのですが、この17年間は不思議な現象を解明する旅でした。
今、フラナガンの説を始め、J・ラヴロック、デイビット・ボーム、シェルドレークなどの先進の科学者の理論仮説を組み立てて「森の精」を考えた時、私には「生命力」とは何かが、やっとうすぼんやりと見えてきた気がするのです。
「抑制なき拡大」から一転。
すべての分野で起きつつある無限地獄のような、収縮への動き。
それによって社会の構造が音を立てながら崩壊している感じ。
いやでも転換を迫る圧力は高い。
ところがまるで将来像が見えない。
とてつもない状況と知りつつも、まだなんとなく満たされたい気分や、あるいは過去にしがみつきたい気分に溢れ、爆発的な変革への意欲とエネルギーが湧き出ない、そんな感じがしていませんか。
都会の電車から吐き出される人たちの表情が、まるで生きている人間に思えないのは、私だけではないでしょう。
エネルギー、つまり「生命波動」をまるで感じないのです。
夢遊病者の集団に見えます。
日本人がなぜ、こんなにも生気を無くしたのでしょうか?
化学物質入り水道水 + 添加物まみれの危険な食べ物
命の元である水と食べ物から、「ある力」を科学文明が完全に無視したところからツケが回ってきたと私は考えます。
そのため多くの生き物たちの「生命力」自体が、ゆっくりと、ゆるやかに「死」に向かってきたのではないでしょうか。
生命にとって、『何が許され何が許されないか』じっくり考える時間を惜しみ、見せかけの繁栄を追って闇雲に突っ走ってきた結果です。
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どんなに文明化しようと、我々の生命は大自然の営みから逃れられない宿命にあります。
大自然と緊密な繋がりは、常に、水と空気と食べ物が最前線です。
それが自然のエネルギーを失い、非自然の物質にとって代わられたところに、悲劇があるのです。

富士の裾野に忍野村というところがあります。
伏流水がこんこんと湧き出て水車が回り、かっての日本はこんな風景に溢れていたはずと、訪れる人々は唱歌の世界に引き戻されます。
そこで食べる豆腐やトコロテンのおいしいこと。
食べ物の歴史や食文化を「マナの会」を通じて勉強しましたが、昭和30年代からの日本の激動は、水と食べ物に引き起こした変化も未曾有の変わりようです。
かって、日本はいたるところが忍野村同様に綺麗な水 + 安全な野菜果物(が含む完全なコロイド水)によって、人々は輝き、自然を敬って生活していました。
時々訪れる開発途上国は、今も日本とは比較にならない貧しい生活です。
しかし子供から老人まで、なぜか、とても生き生きとしています。
「ああ、日本も昔はこんなだった!」と思うのです。
特に目の輝きが何にも代えがたい美しさで、いつも心を打たれます。
私たちは、どうしたらいいのでしょうか。
17年間の探求の結果を一言でいえば、生命コロイド水の改善と補給のために「森の精」を飲むことが、今最も必要なことと断言できます。
これによって「生命力」を取り戻すことが、何より先決だと確信します。
この「きのこやのホームページ温故知新」は、今まさに崩れ行く生命力の再生を志す方々へ、微力ながらお役に立てれればと念願します。