「水」をめぐる旅の話






 エーゲ海はあまりにも綺麗だった! 

 何年か前に、春の南トルコに旅したことがあった。
 南トルコはヨーロッパ人のよく訪れるリゾート地であり、古代ローマ遺跡の溢れる一帯でもある。それらを巡る旅だった。 
 エーゲ海に沈む夕日や海の美しさは、柄にも無くロマンチックな気持ちにさせられた。
 ボドルムの断崖上のホテルから見下ろすエーゲ海は、まさに映画のワンシーンのようだ。
 あまりにも素晴らしいロケーションだったために急遽、『これを我々の新婚旅行にしようか』と語り合ったほどだ。妻とは新婚旅行らしい旅行をしてなかった。
 翌朝、崖に作られた階段を辿って眼下の海岸におりて散歩した。
 海岸は磯と小さな砂浜で構成されていた。ホテルのプライベートビーチらしく、ゴミや漂着物のかけらもない。
 波の静かな入り江の海面は、どこまでも透明で底の小石や砂粒までが見てとれるほどだった。
 妻も私も、あまりの水の美しさに声も出なかった。

 しばし感激に浸っていたのだが、何かひっかかるものを感じた。「何だろう?何かが違うんだよね。我々の海の感覚とは」
 妻も同様に思っていたようだ。
 やがて「貝殻や流れ藻がないね」と妻がいった。「そうだ!あの海、特有の磯臭さがないんだ!」と気づいた。
 トルコは大変にエキゾチックながら、それでいて日本人の我々にさほど違和感もなく楽しめる国だと思う。
『アジアとヨーロッパの接点だから』『親日的だから』だけでない何かがあるように思うのだ。
 トルコはどこでも結構、魚を食べる。「くいしんぼう」で食文化に関心のある私としては、きっと魚を食べる国柄だから違和感がないのではないかと思う。
 金角湾の桟橋付近やガラタ橋に出る「鯖サンド」の屋台、ベヤズットの魚市場のレストランは、全部が海鮮料理のレストランで、日本人観光客にはおなじみのところだ。しかし、トルコ人自体も結構魚を食べるようだ。
 その魚がどこで獲れるかというと、決してあの美しいエーゲ海や地中海ではないのだそうだ。ボスポラス海峡の奥にある、その名の通り冬場は憂鬱になるほど暗い「黒海」が、主な漁場だというのだ。
 エーゲ海や地中海は本当に美しいが、生命力の乏しい海らしい。
 きれいな水は、それなりに必要だけど、生命の高まる水ではないようだ。






 流氷の下の「にごり水」、オホーツクで 

 海の水は、塩辛いものと相場は決まっているものだが、日本をとりまく太平洋、日本海、東シナ海、オホーツク海も、塩分濃度というのは少しづつ違うらしい。
 オホーツク海に流氷が現れるのは例年、1月の中旬から3月下旬ころだが、あの流氷が「真水でできた氷」だと知る人は意外に少ないようだ。
 そもそもあの流氷は、シベリアの大河アムール川が運んだ川氷が、オホーツク海に流れ込んだもので、流氷は真水でできた氷なのだ。
 この氷の海『知床』で、スキューバーダイビングをやる知人に聞いた話に、とても興味をもったことがある。
 北の寒い海は、魚が少なくてさぞかし寂しく暗い海なんだろうと思っていた。
まして流氷の下などは、静寂そのものの暗黒の死の世界ほどに想像していた。
 ところが彼は『南の海は生命が豊富なように思われているが、それは一部のサンゴ礁のある特定の海に限られ、サンゴの死滅した海は、それこそ沈黙の世界だ』というのだ。
 それに比して北の海は、魚や生き物の種類が実に豊富だというのだ。
確かに北の海の魚は、熱帯魚のような美しい色彩はない。どれも地味な魚ばかりだ。
ホッケ、カレイ、コマイ、カジカなどの魚や貝、蛸、えび類、ウミウシ、流氷の妖精『クリオネ』などなど、生命量は南の海とは比較にならない豊富さだというのだ。
 それほどまで生命が豊富な理由、原因はどこにあるのだろうかと質問してみた。
 答えは『地元の漁民の話としては、流氷がプランクトンを運んでくるのだ』という。そして『流氷の下に不思議な《輝く水》の塊ができる』という。
 それは一体何なんだ? その輝く水の塊は、波やうねりのない流氷の下で、にぶい銀白色をして、まるでクラゲのように海中で形を変化させながら漂っているらしい。
「その輝く水とは、何なんですか?」「流氷は真水でできた氷で、きっとその水が有機物を含んでいるため、流氷の間から漏れる光線を乱反射して、角度によって輝いて見えるのだといわれてますが、まだよくは分かっていないようです」
 海水は透明で、氷が融けてできた真水が『濁って輝いて見える水』になっているというのだ。
 魚の豊富なオホーツク海の流氷の下には、間違いなく不思議な『濁り水』がある。
 北海道新聞がその写真を掲載したこともあるが、近頃は新聞の著作権が面倒で転載できない。
興味のある方は是非探されるといい。






 生命の楽園! 南極は魚屋の臭いにそっくり!?

  もう一つ、旅のはなし。 南極半島に行ったことがある。
 雪と氷の沈黙の白い大陸と思って行った南極が、実は予想以上に生命の宝庫で驚いたものだ。
 何万羽ものアデリーペンギンや、アザラシ、セイウチ、トウゾクカモメそしてイルカ、クジラが、夏場は日がな一日、身近に見られる世界で、心底から感動した。
 今やメディアの発達から、世界中が茶の間で居ながらにして知ることができるのだが、テレビが決して伝えれないものがある。
 それは「臭い」であり「雰囲気」というものだ。
 エーゲ海が、まったく「磯の香り」のない透明な海であったことも、私には現地に行くまで予想もしなかったことだが、南極の臭いが、「魚屋」の裏の空き箱置き場とそっくりな臭いだとは全く想像もできなかった。
 この南極半島の『腐った魚臭さ』は、アデリーペンギンの餌がオキアミであるため、排泄物がその発生源だ。コロニーはこの猛烈な臭いが充満していた。幸い「魚食い民族」の日本人は、そんな臭いでもたちまち適応できるが、白人種の中にはその臭いに拒絶反応を示し、折角の南極上陸を断念せざるを得ない人々も多い。
  つくづくメディアに頼る情報は限界があると思うのだ。
 だから私の旅は、五感を総動員させることにしている。
  これらの南極の生命現象は、豊富なオキアミやプランクトンを始まりとして、とてもシンプルな食物連鎖によってなりたつ微妙な世界だと専門家はいう。
 莫大な生物たちは、元を糾せば莫大なプランクトンを祖として、食物連鎖の輪で存在していることは論理的には納得がいく説明ではあるのだが、ではプランクトンを存在させる要素は何なのか、白一色の無のように見える南極で、プランクトンを生み出す力、メカニズムはどういったものなのだろうか。
 有機物がプランクトンの原料だと、学者は答えた。
 生き物たちが排泄する糞、そして死骸がそれだという。
 がしかし、単に有機物が存在するだけで生命が誕生しないことは実験室でも確認済みの、よく知られたことだ。
 南極のプランクトンやオキアミが、何故に大量に存在するのか。
 学者の説明だけでは、とても生命の誕生や「生命力」になることを説明できないのではと、私には思えるのだ。
 有機質に何らかのエネルギーが加わり、また有機質がうまい具合に寄り集まる設計図のようなものがなくて、こんな精緻な世界が生まれはしないと思うのだ。
 恐らくオホーツクの流氷の下の『にごり水』のように、南極の氷山の下にも濁り水が存在するのではないかと思っている。
 南極大陸に降った雪が積もり、氷河となって棚氷の原料となる。 だから氷山は、真水でできた氷だ。
 その氷に有機物を含めば必ず融けた時、南極の海に『にごり水』を作るはずだ。
 その『にごり水』こそ、生命誕生のナゾを解く鍵ではなかろうか。
 いつか南極の海に潜ってそれを確かめれたら幸いだ。




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