

| 「人は何を食べるべきか」を考えてきた人たちは沢山いた。 栄養学の立場から、蛋白質を重視する人たちもいた。 また各種ビタミンやミネラルを、機能の上から重要視する人々もいた。 あるいは民族の伝統食こそ、長い試行錯誤の結果得た知恵であり、尊い人体実験を経た最も安全な食べ物だと主張する人々もいる。(玄米菜食という日本独特の食べ物理論は、海外にまで広まって、肉食の害に悩む欧米人には、一種ブームになっている。) 民族によって、その食は多種多様であり、「ヒト」全体で括るとなると、あまりにも漠としてしまう。 これらの多くの説を前にすると、結局のところやはりヒトは何を食べたらいいのか、分からなくなる。 従来の考え方で、欠落している見方はないものだろうかと考えた時に、一体「ヒト」は「食」において、どんな発達変化を遂げてきたのかが、あまり論議されてこなかったように思う。 つまりヒトとして誕生したはずの何100万年前から今日まで、何を食べて連綿と生き続け、今の我々になったのか、おそらく我々の生命の仕組みは、その間にも、適応発達してきたのではないだろうか。 その観点から、私はヒトの食性はサル同様に、まず「森」の食料となるものがベースになっているはずだと考える。 島田彰男氏の「乳糖不耐症」の研究は、広く「乳あるいは乳製品」が、何の疑問もなくヒトの大人の食品にされていることに、強い警告を発する主張だ。http://www.asahi-net.or.jp/~hb7n-smmt/karada.htm 肉および乳製品が、長いことヒトとしての「食のグローバル・スタンダード(世界規格)」と広く信じられてきたわけだが、島田説によると、乳およびその加工品は、ヒトとしては極めて特殊な発達をした人種の食料になりうるだけであって、けっして普遍的な食べ物でないというのだ。 むしろ全地球的には少数派の、ヨーロッパの北の寒冷地帯で牧畜を生業にしてきた人たちの子孫と、サハラ砂漠の遊牧民でのみ、大人になってからも乳および乳加工食品が消化できるだけであって、有色人種では自分で食事を食べる「乳離れ」以降は、ラクターゼという消化酵素の分泌がなくなり、害はあっても益はない食品だというだ。 そして日本人には、日本の伝統食がもっとも適当で、ヒトの原点に近い食文化だと述べられている。 この論に賛成ではあるが、いくら正論でもいまや我々の生活にはなじめない部分ができてしまったのも事実だ。 それは我々の生活そのものが西洋文明に強く影響され、いまやかっての食文化にそのまま先祖帰りできるような環境にない、ということであって島田説そのものを否定するものではないのだが。 |
|
| ご意見ご感想をMAILいただければ幸いです。 |