

|
日本の土壌はどこもカルシュームがほとんど無いか、全く無いかだ。
|
近頃は太ることを嫌ってダイエットに野菜と果物だけで済ます若い人たちも多い。 |
![]() | |
|
|
去年の春、南トルコの海岸をローマ時代の遺跡を巡りながら旅した。
トルコ人は結構、魚食い人種で、イスタンブールでは「シー・フードレストラン」が名所になっているが、そこの魚たちはほとんど黒海の出身だという。 |
![]() |
||||||||||||||||||||
| 建物の壁らしきものが見える古代ローマ時代の 海中遺跡「シメナ」 |
![]() |
|||||||||||||||||
| グラスボートから見た海中遺跡には器やスプーン などの食器も見えるという。 |
今も昔も日本の土壌がミネラル不足だとすると、昔の日本人は一体どうやってミネラルを補給していたのだろう。 野菜や果物があてにならなかったのに、かっての日本人が、華奢で骨が弱く、いつもいらいらして怒りっぽく、肝臓や腎臓の機能が悪く不健康だったというようなことは、少なくても国民的な傾向としてあったとは思われない。 明治の初めにやってきたお抱え外人教師のベルツが、当時の日本人の勤勉さや健康さに驚いて記録をとどめているが、その中にはむしろまったく反対の日本人像が読み取れる。 当時と比べたら、牛乳や乳製品はお話にならぬほど摂取しているし、果物や野菜だって季節を問わずふんだんに食べているはずだ。なのに、ミネラルが関係しそうな症状が、今やオンパレードといったところだ。 ちょっと転んだだけで骨折する児童が多く、体育の授業さえ「びくびくもの」の学校現場だというし、キレル子供たちのこともよく話題になる。 そんな世代が成人して、まったく理由や動機のはっきりしない凶悪な事件が、いやというほど続発している。 また、「うんこ座り」という情けない呼び名の休憩ポーズや、地べたに直接べったり座り込むことすら平気になってしまった若者たちだ。 足だけは良く伸びて背は高くなったが、これを短命化への警鐘だと訴える人類学者もいう。 全部ミネラルのせいだとは思わないが、何か大切なものが失われて、営々と築いてきた日本人の体質のよさが、大音響を立てて崩れていく姿に思えてくるのだ。 かっては毎日の食卓に、必ず一つくらいは乗ったはずの海草や魚が、急激に食卓から後退してしまった。 魚は、公害による海の汚染や、200海里問題から高級品になり、消費しずらいのは分かるが、海草が激減した理由はなんだろうか。 私の前のパソコン(fmV・ウインドウズ95)の漢字辞書には「海草」が無かった。 「改装」「回想」「階層」などは出るのだが、あれほど日本人に馴染んできた「海草」が出ないのはショックだった。もう「死語」の部類なんだろうか。 学校給食にもほとんど出ないらしい。 知り合いの養護教師によると、子供たちが残すから取り入れずらいらしいが、大体家庭でも食べたことが無い子が増加しているのが実態だ。 若い子に「海草」を説明して、どうして嫌いか聞いてみたが「ダサい」の一言だった。 歴史的には大化の改新時代に租庸調という税制が本邦初めて取り入れられた。 勿論、先進の中国に倣った制度であったが、その中に海草が税金として通用していたこともあるようだ。 全部が食料になったかどうかは疑問のあるところだが、というのは漆喰壁の糊材としても海草の粘着性はきわめて有効だから、あるいは役所の建築等に使われたものかもしれないからだ。 しかし、海草を食べる食文化がつい最近まで、しっかり根付いていたことは少し年配の者なら誰でも知っていることだ。 その海草は、森から流れ出る有機質とカルシュームやマグネシウム等のミネラルをふんだんに取り込み、日本の周囲の海岸は海草の宝庫だったろう。 陸の作物で取り込めなかったミネラルを、日本人は海の野菜、すなわち海草によって補っていたのだ。 |
1に ミネラルの豊富さ
2に 食物繊維の宝庫 胆石すら分解する効用 |
| 昆布はかって、産地の北海道から、遠い中国大陸まで運ばれた貴重な輸出産品だった。 高田屋嘉平のドラマから「北前船」がブームになっているそうだ。 「シルクロード」ならぬ「コンブロード」が日本海から黄海にあったことが注目されだした。 17世紀後半に、河村瑞賢(かわむらずいけん・1617〜1699)によって西廻り・東廻り航路が開発されると、蝦夷地(北海道)の海産物が、江戸・大坂に大量に運ばれるようになった。 18世紀末には、北前船によって蝦夷地から日本海を通って大坂に運ばれた昆布を、薩摩商人が砂糖とかえ、さらにその昆布を琉球の進貢貿易を利用して中国に輸出するようになった。 中国からはそれとひきかえに、生糸・反物・漢方薬の材料などを買い入れていた。 1820年代以降になると、琉球から中国への積荷の70〜90%を昆布が占めるようになった。 これは日本で生産された総量の約10%にあたる。 19世紀の半ばには那覇に「昆布座」が設置される。 「琉球処分」によって進貢貿易が終わるまで、琉球にとっても昆布は重要な輸出品となっていた。 そのように中継基地だったことが、今、沖縄の人の昆布好きの原因になっている。 沖縄でこれほど昆布が食べられるようになった理由をもう少し詳しく述べよう。 そこには,薩摩藩の野望があった。 昆布は江戸時代,徳川幕府の輸出禁制品だった。 海産物は俵物諸色(たわらものしょしき)と呼ばれ,幕府が輸出の独占権を握り,海外への窓口を長崎に限定していたからだ。 しかし,薩摩藩は,富山の売薬商によって北前船で運ばれてくる昆布を,琉球経由で密かに中国へ輸出した。 中国は,ヨードを含んだ昆布を甲状腺腫の特効薬として渇望していたのだ。 薩摩藩は,この密貿易で倒壊寸前だった藩の財政を立て直し,明治維新への原動力のひとつにしたほどだ。 ついでに豚肉は,14世紀に,中国からやってきた帰化人によってもたらされたといわれ,その後,中国皇帝が琉球国王の地位を認めるために遣わす冊封使(さっぽうし)の一行をもてなすために飼育が進んだ。 唐芋(サツマイモ)が普及するにつれて増えていき,明治時代の初めには,全国消費量の大半が沖縄1県で占めらたそうだ。 沖縄料理には,必ずと言っていいほど豚肉と昆布が使われる。 総務庁統計局の調査によれば,豚肉の消費量は全国1,昆布もトップクラス(平成5年総務庁の家計調査報告によれば1世帯当り965グラム)だ。 この沖縄料理に欠かせない豚肉と昆布は,栄養的に抜群に相性が良い。 豚肉が,酸性で高タンパクなのに対し,昆布は,アルカリ性でノン・カロリー。 「旨い」だけでなく「体に優しい」…医食同源とはこういうことをいうのだ。 沖縄県は100歳以上の老人が人口に占める割合が日本一高い県だ。つまり長寿県ということだ。 かなり前の話だが、石垣島へ行ったときのことだ。 カメラメーカー主催の撮影会に参加したのだが、沢山のカメラにびっくりしてか島の人も見物していた。 妻は女だてらに普通より大きな「6x7」という中判カメラを使うので目立つ。 どこから来たかと問われ「北海道」と答えたら、「昆布はもってきたかい」と聞かれてびっくりしたそうだ。 まさか撮影旅行に昆布を持参することなど考えもつかなかった。 沖縄の食文化に昆布が不可欠とはしってはいたが、これほどまでに沖縄の人が好んでいることを感じて驚きもした。
|
| 日本では海草類のとり過ぎで甲状腺機能低下症になっている人がかなりいる。 海草に多く含まれるヨードは甲状腺ホルモンの原料だが、慢性甲状腺炎の人の一部にこのヨードをとり過ぎると甲状腺ホルモンが作れなくなる人がいる。 過ぎたるは及ばざるがごとしだ。 この場合には、海草を食べないようにするとまた甲状腺ホルモンが作られるようになる。 どれくらい海草を控えるとよいのかについては、専門医は、昆布だし、昆布を控えるのみでよいといっている。 しかし、昆布だしの場合、ダシの引き方に問題があるのじゃないか、と私は考えている。 正しく「一番だし」を引くならば、沸騰寸前で昆布を上げるから、ヨードはそれほど溶け出さないのではないか。 ノリ、ワカメ、寒天などは毎日食べてもいいらしい。。 昆布に含まれるヨードは他の海草類と比べて非常に多いためだという。 ヒジキはノリ、ワカメ、寒天などに比べてヨードが少し多いですので、毎日は摂らない方がいいともいっている。 私は、海草について「毎日同じ海草を摂るのはやめよう、しかし毎日、何かを摂ろう」と主張している。 日本は海に囲まれているので、日本でとれる食物を食べていれば、いくら海草を控えてもヨードに関しては、不足には絶対にならないそうだ。 |
|
| ご意見ご感想をMAILいただければ幸いです。 |