日本の「食文化」 あるいは「日本文化そのもの」の柱
「旬」を 大切にしたい!






「旬」とは
「おさしみ」を知ってた三内丸山人!? 縄文人は「旬」を食べた
然をよく知る縄文人以来の伝統か
乱れに乱れた野菜の旬
私の旬の魚たち
   夏の魚:鰯
秋の魚:秋刀魚
春の魚:ニシン
秋刀魚、いわし、ニシン   同じ油に思えるが「意味」が違う
桃の節句の「はまぐり」がまずい? その訳は



「旬」とは


日本という国は世界でも稀なほど、四季の移り変わりがはっきりした国だ。
海に囲まれて南北に細長い地形なうえ、四季がうつろうに緯度や経度が実にちょうどいいところにある。
この季節感というのが、日本の食文化にはとても重要だし、あらゆる日本の文化の形成に、深く影響しているはずだ。
時の流れの中でふっと立ち止まって四季を愛でる、そういう日本人の繊細で詩的な心が、料理にも表わされてきたのだ。

たまたま外人の知人をオホーツク海の流氷見物に誘った時のことである。
竹林、緑なす田、日光東照宮といった代表的な日本のイメージは、熱帯、あるいは亜熱帯にある錯覚をおこすようだ
いつも「蒸し暑い国」と思う外国人は多いようだ。
ところが海全体が真っ白い世界で、流れきた氷が覆い尽くしている光景は、全く彼の意表をつくものだったようだ。
日本を、あるいは日本人をよく知っている彼は、日本の美意識が四季の中から生まれたことは理解しているのだが、それは静的な美で、動きのない世界に思っていたようだ。

ほの青い氷の美しさ、氷のきしむ音、それを砕氷船で見物にいく観光客の感嘆のどよめきなど、彼には想像すらできなかった思いがけない「日本の美」の発見だったようだ。
そんなオホーツク海沿いの(彼には辺境に感じた)温泉ホテルの決まりきった夕食のお膳料理でさえ、隅々まで日本の美をあしらった「アート」に思えたらしく、しきりに感激していた。
たしかに「三の膳」までついた「懐石風」の食事ではあるが、私たちには新鮮味に乏しいお決まりの旅館料理ではある。

その料理自体を褒めたのではなく、彼は日本人の食文化の精髄に感動したものだ。
「四季と調和する細かな心づかいの『アート料理』が、こんな辺境においても日本人は大切にしている」と日本人の美意識のレベルの高さを激賞してやまなかった。


「お花」は勿論、「お茶」の茶菓子などにも旬がそのまま活きている。
華道茶道はともに「禅」を根幹にしている。
「禅」そのものは中国伝来ではあるが、「旬」を知る日本人だからこそ「一期一会」の思想を、民衆がものにできたのではないか。

旬ということばは、もともとは暦用語で10日間ほどのことをいう。
たとえば月の上旬とか、中旬というようにだ。

一言で食べ物の「旬」といっても、実は3つの段階がある。

ある時期に自然に採れる食材のおいしい期間のことで、旬は、一般におよそ6週間ほどになるそうだ。
その期間を大体2週間ずつ3つに分けて、「走り」「盛り」「名残り」と呼ぶ。

最初の「走り」はその食材が出回り始めるころで、初物と言って珍しがられ、量も少ないから高い値段がつく。
しかし味や栄養価の点では、まだ未熟でそう美味なわけではない。
美味なわけではないが「ああ、OOOの季節がくるんだなー」と、季節の循環を感じ、無意識に心身の準備が起きるのだ。

その食材が、本当に旨くなるのは、その後の「盛り」。
十分に育ち切って熟成した食材は、旨みも糖度も高くなる。
魚や肉もそうだが、特に野菜は「走り」の時と比べてビタミン類の含有量が4〜5倍にもなることが分っている。
また「盛り」の時期にはその食材がたくさん出回るので、値段も安くなり、たっぷりおいしく食べられるから、家庭でもふんだんに献立に取り入れたいものだ。

では旬の最後の2週間である「名残り」は、まさに盛りが過ぎた単なる「残りの期間」という意味かというとそうではない。
たしかに味と栄養の面ではピークを越えているが、決して「もうおしまい」というだけではないのが、日本の食文化の奥の深いところだ。
たとえば「あれほど、旨かった桃も、もうおしまいだねえ。・・・また、来年までさようなら」というように、移り行く季節に愛着を感じながら、暇乞いをするのが日本人だ。

われわれの先人が「旬」と呼んだ、食材の最も美味な季節。
それを守ることは体にもいいし、何より「ああ、今はこれの時期だな」という料理に出会ってほっとする、日本人の心の原点を守ることなのだ。




「おさしみ」を知ってた三内丸山人!?
縄文人は「旬」を食べた



北海道の開拓時代に和人は、何もない大地で生き抜くために先住のアイヌの人々から生活の知恵を、随分授かり助けられたものだが、今ではまったくそのことは忘れ去られてしまった。

何もないと思った大地と森は、アイヌの人々にとっては生活必需品の供給源であり「十里四方に生活に必要なものは何でもあると教わった」と、古老が話していたのを思い出した。

縄文人と同じように狩猟採取文化のアイヌ人の生活を考えてみると、縄文人も見えるのではと思うのだ。


その古老の話によると、開拓の当初の茅葺の小屋は晩秋には水がめの水が凍る寒さだったそうだ。
やがて赤ん坊が生まれ、オムツにする布切れさえなくて「どうやって育てたらいいのか」全く途方にくれたそうだ。

その赤ん坊が無事成長できた裏には
アイヌの老婆(フチ)が親切にアイヌ流の赤ん坊の育て方を教えてくれたという。
アイヌの知恵がなかったら、赤ん坊は決して育たなかったろう。
「いろり」の脇の土間に穴を穿ち、よくしごいた柔らかなワラで赤ん坊をくるむのだそうだ。便や尿で汚したらワラを取り替える。洗濯や乾燥の必要も無く、真冬でもすくすく育ち本当に有難かったという。
土間の赤ん坊用の穴には「いろり」の熱も伝わるし、尿による発酵熱もあって赤ん坊は無事育ったそうだ。

冬中食いつないできた食料が尽きる頃、日が延びて福寿草が顔を出し始める。
長く厳しい冬を越して、辛くも生き延びた幸運を実感するが、実はこの季節がもっとも食べもので苦労する。
細々と食べつないできた食料がいよいよ完全に無くなる。
アイヌのフチ(おばあさん)の後ろを、「腐れ雪」に足を取られ取られ、春一番の食べれる野草を摘みに行く。
古老は「アイヌのフチが親切でなかったら、私は今いなかったよ。いろりの穴の赤ん坊が私だったから」と語った。

このアイヌのフチは、家族のように開拓者の若い夫婦を見守ってくれたという。
どこそこにいけば蕗、わらび、キトピロ(行者ニンニク)が取れるんだよ、と自分たちの大切な食料の在り処も惜しげもなく教えてくれた。
野にエゾエンゴサクの花が咲き出すころ、自然は人々の越冬成功を祝福するように、急激に食べ物に満ち溢れる。
夏はきのこ。秋は最高のごちそうのコクワ(さるなし)と山の木の実、それに男たちが取ってきた神様といわれる鮭。フチは男たちに隠して鮭を運んでくれたという。
冬は「うばゆり」の粉や「ひえ」で作った「だんご」など、アイヌの料理の食べ方、保存の仕方まで、手をとって教えてくれたそうだ。
男は酒で暴れる者が多かったが、このフチばかりでなくアイヌの女性は優しかったそうだ。


生き延びて本格的な開拓ができるまでは、自然を知りぬいたアイヌの人々に助けられたとしみじ語っていたものだ。


青森県の三内丸山遺跡は縄文のイメージを変更せざるをえないほどに、「大きく、豊かで、長い」生活のにおいに溢れている。

やはり一番気になるのは、村人500人の生命を維持した食料である。
泥炭層からクルミ、トチ、ドングリの実、ニワトコ、ヤマブドウ、ヤマグワ、ヒョウタン、サルナシ、キイチゴなどの種子の層に、1メートルの鯛の魚骨、獣骨が出土した。
クリの種皮もかたまって出てきた。

狩猟採集民は一年を通じ、いつ何がどこで取れるかを知っていることが、生きるための何よりの知恵だ。
これらの遺物が物語ることは、勿論アイヌの人々同様に、身体が必要とするもっとも旨い季節に食されたことは明らかだろう。

そして、1メートルほどもある大鯛の骨がいくつかに切断されず、中骨がそっくり繋がって出土したという事は、どうゆうことなのか。
三内円山縄文人はどのようにこの大鯛を食したのだろうか。
これほどの鯛が中骨が壊されずに食べられたとしたら、私の想像できる食べ方は一つだ。
三枚に下ろして「さしみ」で食べたと見る以外に考えられない。

こんな大きな鯛が青森県で捕れていたのだから、当時は相当に温暖だったに違いない。
桜の季節にこれを食べたとするならば、縄文人は「旬」を知るなかなかの食通に違いない。
それは、縄文の食の文化が現代の日本人まで連綿と繋がっていることを示すことになるのではないか。

多いときには500人を、1500年間も養い続けれた三内丸山の縄文人は、自然をかたちづくるさまざまな営みや季節の移りを、天と地の動きを、正に知っていたはずだ。





自然をよく知る縄文人以来の伝統か


料理に季節感を重んじるのは、たいへん理に適ったことでもある。

自然が季節ごとに与えてくれる旬の食材は、その時期にぴったりの栄養を備えているものだ。
例えば春から夏にかけて吸い物などに使う「木の芽」は、もともとアルカロイド系の毒素を含んでいるが、これは少量なら薬になる効果があって、寒い冬の間に体にたまった老廃物をきれいに掃除してくれる。

あるいはビタミンAやE、Cといった、やはり体の中をきれいにしたり、細胞を目覚めさせてくれる栄養素をふんだんに含んだ緑黄色野菜が 春から夏に出回り、暑い盛りには解熱作用があって発汗を抑える葉野菜、秋から冬には逆に身体を温めてくれる根野菜がおいしくなる。

このように、私たちの体のサイクルにちょうど適した食べ物を活かして、和食の献立がたてられてきたわけだ。

東大名誉教授埴原和郎氏(自然人類学)の「日本人の起源の二重構造説」というのが定説化しつつあるが、「食」の面から見てくると、この仮説は実に納得がいくのだ。

我々の今の「食文化がどのように成り立ったか」考えることは、実に興味がつきない。
今、ほとんどの日本人の日常は、主食に弥生以来の「米」を食べ、戦後は特に外来の食文化も織り交ぜて「豊富な副食」を作り出し、まったく何の違和感もなく慣れ親しむに至ってる。
どんなに外圧があろうとも、消費量こそ減ってはきたが(このところは完全に下げ止まりの傾向)相変わらず「米」を「主食の座」から追い落とすことなく食べ続けている。

バラエテイーに富んだ副食は、日本を一躍「高齢化社会」にするほどの「長寿化」を成し遂げた一因でもある。

本来、稲作というのはきわめて保守的にならざるを得ないものだ。
確かに「米」を作ることだけが、「生きる」ことだった時代は今では想像もできないほどに保守的であった。

それに引き換え「狩猟採取」の生活は「今日は何が採れるのか」でかけてみないことには分からないし、都合のいいものがあれば、たとえ新しいものでもどんどん取り入れる必要があったはずだ。

縄文人は、そうやって、今主食になっている「米」も、「都合がいい」から取り入れたのではなかろうか。

縄文人の遠いようでいて脈々と続いた記憶というか遺伝子が、戦後の急激な洋風化の嵐と読んでいい波を、他の民族からは信じがたいほど能率的に消化吸収し、さらに日本人風に再構築したと考えれないだろうか。


乱れに乱れた野菜の旬

  

今では農作物は計画生産が徹底して、地域ごとに時期をずらし一年中同じ食材が手にはいるようになっている。
便利なことで消費者のためにはよさそうに思うが、農協いやJAの組織がしっかりして、また物流が格段によくなって初めてできるようになった「産地調整」「生産調整」だ。
それは何より農家の経営の安定化につながった。
がしかし、果物はそれほどではないが、これによってそれぞれの野菜の「旬」がいつなのか、さっぱり分からなくなってしまった。

「たけのこ」は夏が始まる前に体の中の水分がよく循環することで、余分な水を排泄し、不足な水分は補うとてもいい食材で、モンスーン地帯の日本ならではの爽やかな食べ物だ。
ところが5月九州で旬だとしても、北の北海道は体の方の受け入れ態勢ができていない。
まだ夏に向けての体質の転換が完了していないから、食べ過ぎると体が冷えてしまうのだ。

反対に北海道は秋の訪れが早い。春菊などが旬を迎えたとしても九州や四国はまだ残暑の残る頃だ。
春菊は冬から春の葉ものだが、残暑の季節に春菊なんぞ食べたとして旨いのだろうか。
苦味や「えぐみ」といった味は、山菜同様に冬、春の体内の老廃物の排泄にいいものだからだ。

もともと自然である人間は「身土不二」といって、その人が住む土地と一体であるはずだ。
暑いときには、その住む土地にできる植物たちも暑いはずで、我々よりも利口な植物の方が、暑さ対策、つまり暑さに順応できる機能を持っているものだ。
たとえば「きゅうり」やトマトなどの夏野菜は、豊富な水分を持つことで、強い日差しの中でも種を保護している。
その機能をいただくことで、われわれ動物は、暑い夏を乗り越えることができるのだ。

自然とともに進むことが、もっとも理にかなっているはずだが、今の野菜の旬は乱れに乱れている。
だから、本来出てくるはずのない時期のものを出されると、私は困惑してしまうのだ。



私の旬の魚たち


夏の魚:鰯


鰯は夏が旬の大衆魚だ。
秋刀魚とともに大きな群れで回遊する魚で、現代の発達した漁法に狙われやすい魚種だ。
季節を構わず捕られつづけている。
大部分はミール原料や養殖用の餌にするためだ。

消費者が大衆魚には見向きもしなくなり高級魚を漁るようになったため、鰯は「はまち」のえさになり、姿形を「はまち」に化けることになってしまった。

事実「いわし臭い」養殖の「偽はまち」が、「はまち」で通っている。
これって、「いわし」にも「はまち」にも気の毒なことではないか。

おまけに折角「はまち」に育てても、食べ残しの鰯のミンチが海を汚して、病気の発生を高めるために、予防に与える抗生物質が魚体に蓄積して「背曲がりはまち」という奇形魚になる個体も多い。
「はまち」が望んだわけでもないのに奇形にされ嫌われて、人間の勝手な経済の仕組みから全てが「活きない」結果になっている。



秋の魚:秋刀魚


「旬」が秋の魚といえば、まず秋刀魚を思い出す。

秋刀魚は北の根室に始まって、八戸、釜石、小名浜、銚子と秋が深まるにつれて南下していく。
昔は銚子沖にきた晩秋の秋刀魚が、東京の人々には豊かな秋の喜びをもたらしたものだ。

ところが現代の日本では何ごとも経済が優先するため、少しでも先に獲った方が勝ちで、回遊してくる秋刀魚を待ちきれずに、今では先へ先へと船を出し、根室の更に沖合いまで行くことになってしまった。
そこでは、韓国や台湾のサンマ船ともかち合うようにまでなって、漁業者には更に深刻な問題になっている。

秋刀魚の味はどうなったかというと、大量に捕る根室沖は、まだ脂の乗り方が充分ではない。
南下するにしたがって脂もよく乗るようになるのだが、すでに途中で散々取り尽くされるから、銚子沖にはごく小さい魚群が届くのみだ。
とても庶民の口にはいる魚ではなくなってしまった。

縄文人には笑われることだろうが、自然からの素晴らしい贈り物をわざわざおいしくない時期に、根こそぎ捕まえてしまう愚かなことを、経済中心のシステムがさせてしまうのだ。
本当に愚かなことだと思う

秋刀魚にとっても、庶民にとっても悲しいことだ。



春の魚:ニシン

ニシンはもう完全に幻の魚になってしまった。
北海道では、春を告げる代表的な魚だった。
蝦夷地のころから、魚粕(肥料)原料として北前船が高く取引し、昆布と並ぶ産品だった。

それ以来の乱獲がたたったのか、環境の変化が原因か分からないが、もう半世紀も前の群来を最後に大群は姿を消した。
今、店頭にある干物のニシンはロシアのサハリンあたりがふるさとの輸入品だ。

最近、国内でもほんの僅かだが、苫小牧あたりで獲れ出した。
これは昔は「馬鹿にしん」と呼んで、北海道の沿岸部のみを回遊して季節を問わず採れたたニシンの末裔らしい。
専門家の遺伝子の解析からはそんな話しだ。
昔は御殿を建てれるほどに富をもたらし、春の雪解け時期に群来て、白子で波打ち際が白濁したといわれる本格的な回遊はまったく望めなくなった。
ほんのここ2−3年、留萌にごくごく小さい群来があり、『ニシンよ蘇れ』と祈る人々は北海道には多い。







秋刀魚、いわし、ニシン
同じ油に思えるが「意味」が違う


秋刀魚、いわし、ニシンは共に脂が乗ると旨い魚だ。

秋、夏、春が旬の代表的な「大衆魚」で、どれも脂がのるととてつもなく旨い魚だ。「旬」のものはマグロやブリなどの高級魚にも決して負けないおいしさではないかと思う。
同じ脂っぽい魚なんだから、春に秋刀魚でも、秋にニシンでもいいのかというと、食べて比べればすぐ分かるだろうが、季節外れでは「旬」のものにはまるでかなわない。
しかしそれぞれの脂を、栄養学的に分析してもあまり違いは見つからないだろう。
食べる側からいえることは、それぞれの脂が、その時の我々にはなによりのご馳走に感じる。どうしてだろうか。

今は経済優先で、たとえば秋刀魚や「いわし」がスーパーには年中並んでる。
多くは冷凍技術の進歩のおかげなんだろうが、まったく旬など無視した状態だ。

私は魚が大好きで魚種を問わない「魚食い」だが、この旬について注意深く実験というか、体験を繰り返している。
前に書いたように冷凍保存技術が向上して、少なくても昔の魚以上に取れたて同様に近い。
鮮度は維持されているにもかかわらず、春に秋刀魚を食べて旨いとは感じない。
反対に秋にニシンも勿論試してみたが、昔の感動はないのだ。
いくらおいしくても季節外れには喜びはない。
これは何なんだろう。

栄養以外のもの、あるいは同じ栄養素でも、季節によって分析不可能なくらい微妙に違い、体の感覚はそんな微妙さも敏感に感じるのかもしれない。
健康に生きれるための直観力として、季節と共にあった縄文以来の先祖からの偉大な蓄積が、「味覚」という感覚に残されてきたことは充分考えられる。

私はこんなことを考えた。
「油は油でしか溶けない」という特性で考えると、どうも我々が季節によって皮下脂肪の増減を繰り返していることと、関係があってもおかしくはないはずだ。、
一見同じに思える魚の脂だが、春のニシンの脂は、冬を越すために蓄積した皮下脂肪を燃焼させるのに都合のいい脂で、夏の鰯の油はスタミナ源として直ちに燃焼できる脂だとは考えれないだろうか。
そして秋の秋刀魚は冬越しの皮下脂肪に転換しやすい脂、ということもできるのでは?
なんとなく、そう思えるのだ。直感である。

私がそう考える理由はある。
春は山菜がうまい。
山菜は灰汁が強いので、灰汁抜きが重要だ。
この嫌われ者の灰汁だが、抜きすぎるとまったく旨みが感じられなくなる。
灰汁こそ山菜の命だ。
前に述べた「木の芽」のアルカロイド系の毒素が、身体を浄化させるのと同様、本来、身体にいいわけがない灰汁が、春には細胞をいきいきさせてくれるのだ。
灰汁はもともとミネラルだ。
酸化してなければ立派な機能性の栄養だ。
冬の間に溜め込んだ老廃物、とくに蛋白質の残骸を分解排泄するために、肝臓と腎臓はフル回転の時期だ。
そこにプラスに働く食べ物だから旨く感じるのだ。

生理と味覚は、栄養素だけの問題でなく、ごくごく微量な要素でさえ感じるものでなかろうか。
だから、魚の脂の違いには、必ず機能の違いがあるにちがいないのだ。


桃の節句の「はまぐり」がまずい?その訳は


日本には季節ごとに数々の伝統行事があり、その時に供される食事にも古いしきたりがある。
例えば3月3日の雛祭り、桃の節句には、女性の貞操観念などさまざまな意味を持つハマグリを出すのが習わしになっている。

ところが今、雛祭りにハマグリを食べてもあまりおいしいとは思えない。
北海道ではどういう訳か、韓国産の輸入ハマグリしか売ってなく「マズイのはきっとそのためだろう」と、随分長らく思ってきた。

よく考えてみると、当然の結果だったのだ。
今のわれわれは新暦を使って暮らしているから、旧暦で定められた節句本来の時期とは、実際は大きくずれてしまっていた。
旧暦の三月三日は、日めくりを調べて見ると今年は新暦の3月27日だったが、年により4月の下旬ということもある。
この頃にはハマグリも身が厚く、おいしくなる。

昔の人はそれを献立にしたわけだが、明治の初めに欧米に倣って旧暦を捨ててしまった日本では、おかげで経済は発達したけれど、本当の旬の食べ物という大切な心のよりどころを失ってしまった。



「旬」とは
「おさしみ」を知ってた三内丸山人!? 縄文人は「旬」を食べた
自然をよく知る縄文人以来の伝統か
乱れに乱れた野菜の旬
私の旬の魚たち
   夏の魚:鰯
秋の魚:秋刀魚
春の魚:ニシン
秋刀魚、いわし、ニシン   同じ油に思えるが「意味」が違う
桃の節句の「はまぐり」がまずい? その訳は


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