オーナーの思い

 美しいポロヤムワッカ川に育まれたニジマスをご賞味ください
松久園
営業担当/松久 大樹(taiki matuhisa)さん

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のんちゃんレポ
 横綱大乃国の故郷でもある芽室町美生地区の町道を走るとありました。「松久園」の看板。屋敷森に囲まれた風情は本州の趣あり。なのに周りはどう見てもドカンと広い十勝の風景。ん〜、この佇まい、曰くありげな様子。中に入ってみると・・・
 とっても立派な日本家屋ですねぇ。大正の時代の建築ですって。今の時代にこれだけの大きな柱はこの辺りではほとんど見られません。磨きぬかれた板張りの床はギイギイと音を立てて長いなが〜い歴史を感じさせます。「古い建物ですが、骨組みや梁はしっかりしていますよ」とは若大将、大樹さんの説明。(あの地震でも大丈夫だったってことだ。すご〜い)本州各地から移住してきた開拓者たちはこうして故郷の文化を持ち込んできたのですねえ。それにしても大きなお屋敷。それでは、どんな歴史が刻まれているのか、じっくりお聞かせ願いましょうか。

「馬さえなく、鍬一丁からの開拓物語」
 
私自身はね、数年前に戻ってきたばかりで、それまでは東京暮らしをしていました。でも、外に出ると故郷の良さってはじめてわかるものですねえ。のんびりしていて、水も空気もぜんぜん違いますしね。

 ここは、私の曽祖父にあたる松久市治が北海道移住を強く志したことに始まります。十勝には岐阜県からの移住者が多いのですが、ウチもその一つです。最初は、川西村(メークインと長いもで有名な現在の帯広市川西地区)に入植しましたが、窓鍬(まどぐわ)一丁での開墾で、随分難儀したようです。一年かけて約一町五反歩(いっちょうごたんぶ=約1.5ha)の畑を作るのがやっとという状態でした。それから故郷の老父が急死し、土地や家屋の整理で得たお金を手に再びこの地に戻った時、すでに畑にされた売地が美生(びせい)にあることを聞いて、つまりそれがこの土地だったということなんですが、早速買い求めたのが今の松久園の始まりです。

(※窓鍬:刃に二つの窓が開けられ、畑の荒起こしや田起こしの際、その窓から土や泥が落ちるしくみとなっており、湿地や泥炭地の開墾に非常に役立った)



「亡き父の唯一の餞けとして」
 天候次第の農業ですから厳しい年もありましたが、大正6年は多めに作付けした馬鈴薯が例年に無い豊作となりました。澱粉が平年なら500袋前後しか取れないものが、その年は1,200袋も取れたんです。第一次世界大戦末期のことで、豆類、澱粉の暴騰とも重なり、やっと経済的にゆとりが生まれたんです。そのお金を使ってこの松久園を住宅として建てたのですが、元々、市治は親の反対を押し切って移住してきたこともあり、亡き父への感謝といいますか、精一杯のはなむけとして、当時としては破格の建築を普請したと聞いています。材料の内、柱の大部分は北見の置戸産のエンジュを使っていますが、その他はほとんど地元のものを使用しています。(そういえば、エンジュって、床柱にする縁起の良い木だって聞いたことがあるわね)

市治が精一杯の想いと技を注いだ家は、こうして100年近く経った今もしっかりとこの地に立ち続けているわけです。



「十勝の自然と歴史が育んだ虹鱒の養魚技術」
 ニジマスとの出会いは二代目の時代ですね。冬期間の仕事として、川水を利用して凍(し)み豆腐の製造を15年ほど続けていましたが、町内に近代的な工場が出来たのを機にやめました。その後、農業のかたわら、年間を通じてできる副業は無いものかと探した結果、ニジマスの養殖にたどり着いたわけです。飼育は好成績でしたが、売り先には困ったようで、結局自分のところで売るしかないと釣堀を始めたのです。時は流れて昭和36年、釣りにいらした食堂を経営しているというお客さんに「こんな大きな住宅を空家同然にしておくのはもったいない。私が料理の指導をしてあげるよ」とすすめられて、飲食業を始める事となったのです。

 松久園の味は、私の叔父にあたる人が、調理学校を出て開発したものが原型となり、独自の味となっています。
ここの魚料理は素材の良さが自慢です。料理の直前まで当園で泳いでいた最高の虹鱒を使い、叔父が開発した料理は、いつも食べていますが、不思議と飽きません。冷たく綺麗な川の水で育った虹鱒と亡き叔父が残した料理の技が合わさり『松久園の味』となっているのです。



「おばあちゃんの庭は、おもてなしの心」
 (おっと、ここは熱帯植物園か、はたまた沙漠のロケ地でしょうか・・・)松久園には、心ばかりの庭がございます。曽祖父の市治が植えたドイツトウヒは管内で一番古いものの一つでしょう。また、樹齢90年余りの椴松や朝鮮五葉、そして蝦夷山桜など、自然に近い環境を作っています。
 料理を出すようになって、二代目の祖母は、遠くから来ていただいたお客様に観て喜んでいただこうと庭造りに力を注いでいました。一面にバラを植えたり、ユリやカンナなどを植えたりとお客様に親しまれるようにと、あれこれ精を出していたのですが、ある時、ここでサボテンを見ることが出来たら珍しくてお客様に喜んでいただけるのではと思い立ち温室の中で栽培を始めたのです。雪と氷の厳寒の土地で熱帯沙漠のサボテンですから、ちょっとそのギャップがおもしろいでしょ。今では、そのサボテンが両手を回しても届かない大きさに育ち、春には、その姿からは想像もつかないような可憐な花を咲かせ、訪れる方の目を楽しませています。


サボテンが育つビニールハウスは自由に見学して頂いていますので、お食事にお寄りの際にはちょっと覗いてみてください。
 その辺りの畑や庭の中には、常連のお客さんがまるで自分の庭であるかのように手をかけて下さったところもあるんですよ。日常のストレスが、畑を手伝うとすっかり消し去ることができるんだってね。私自身も、忙しい日常の中で庭を一周してくると随分と気持ちがリフレッシュします。お近くの方はお気軽にどうぞ。



「最高の食材は地元にありました」
 昔のニジマスと出会う前、二代目が農業の傍ら冬の期間に凍み豆腐を作っていた時代がありました。今でもその昭和初期の豆腐を作る道具が松久園に残っています。先ごろ、それらの道具を使って、芽室産の豆を使った豆腐を作り始めました。白い豆腐と、黒豆を使った黒い豆腐を作っています。地元の美味しい農産物を使って造った豆腐、これはお勧めしたいですね。開拓の労苦が昔語りになってすっかり近代的な農業になりましたが、作物栽培や養魚にかける思いはきっと変わっていませんよ。農業の盛んなこの土地で、地元の農産物を使い皆様に驚きと感動を与えられるような食を提供したいですね。これまで同様、地域の皆様にも愛されて、日高山脈の麓に広がる十勝平野の一角に開拓の歴史を伝える館を守り育てていきたいと思っています。

 
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