淡水魚に興味を持った畑少年
私が幼かった頃、父は水産省に勤め、淡水魚の養殖の仕事に取り組んでいました。その当時は戦時中だったので食糧難の時代。たんぱく源を確保するための重要な仕事だったわけです。そんな父の背中を見ながら淡水魚の養殖の仕事を覚えて興味を持っていきました。
父の転勤で各地を転々としていたこともあって、子供の頃、一時期、帯広で暮らしたことがありました。昭和26年のことですね。その時、然別湖のオショロコマを見た父が「これは繁殖に力を入れなくてはいけない」と言っていましたが、間もなくして他界してしまったのです。
父の遺志を引き継いで、然別湖に棲むオショロコマを守りたい
父が亡くなってからは、再び上田へもどり高校を卒業、拓殖鉄道に就職。最初は経理の仕事をしていたのですが、入社4ヶ月後に移動となり、来たところが然別湖。それから17年間勤めましたが、その間にオショロコマの人工ふ化などに携わる機会があり、この場所で淡水魚の養殖業を始めようと33歳で独立したんです。
電気も何もない場所を選んでの出発
その頃、この辺りはまったくの原野で半分が湿地。電気もない場所で、ちょっとした牧草地もあったのですが、全く収穫にはいたらないような土地でした。でも、とてもきれいな川が流れていたのです。ペンケチン川といって湧き水が源ですが、この水を使って、この場所で淡水魚の増殖をやっていこうと決めました。電気も何もないところでしたが家族で力を合わせて、父の思いでもあり、私の思いでもありオショロコマの増殖を始めたのです。当時、町もオショロコマの人工ふ化に力を入れていましたし、北大の教授をはじめとして学術的な調査も進められていました。稚魚を大きくして湖に返す、魚が育つまでに3,4年かかります。たくさんの方に教えて頂き、やりがいを感じながらやってきました。
苦労を苦労と思うこともなく頑張ってこられたのは家族のおかげ。電気も水道もないところに家族が喜んで一緒についてきてくれたからです。店も開業当時6坪だったものを26坪まで大きくしました。池も素掘りだったものを板張りに、そしてコンクリートに。電気も最初は朝から発電機を回していました。農漁村電化事業によって使えるようになり、水道も徐々に整ってきたんですよ。
有資源の素晴らしさをお届けしたい
魚たちは素晴らしい有資源です。釣れば減り、食べれば減ってしまいますが、一生懸命世話をして清流で育てた魚たちの美味しさを多くの人に知って頂きたい。海の魚は美味しくて川魚はまずい様に思われがちですが、清流で、かつ水温帯が冷水性(15℃)の魚たちはとっても美味しいんですよ。ですからウチでは、釣りを楽しむ方に1時間いくらというお金の頂き方はせず、釣った分だけ計って買ってもらうようにしています。そうすることでお客様には食べる分だけの釣りを楽しんでいただけます。お子様や女性でも簡単に釣れるように配慮しています。えさは虫を使わずに「オリジナル」で工夫していますので虫を触れない方にも安心して楽しんでいただけます。
釣った魚はこちらで食べていくことも持ち帰ることも出来ますし、お料理だけを食べに来ていただくことも出来ます。ご注文があってから魚を捕まえて調理しますので新鮮で美味しい料理を楽しみに是非おいで下さい。
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