オーナーの思い

人間の進歩にとってかけがえのない石
十勝工芸社
陶守 統一さん(Touitsu Suemori)

年齢53才
出身地:足寄町

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のんちゃんレポ
 黒曜石の魅力に私も見せられちゃいました。下につづく

子供の頃に出会った、十勝の畑の中にきらきらきらきら輝く石器
 
十勝石に関心を持ったのは、子供のころのことです。黒曜石は石器(ヤジリ)を作る材料として古代から重宝として扱われていました。私の育った町、足寄町の畑には古代の人が弓矢を打って狩猟を行っていた時のヤジリが沢山落ちていたんですよ。畑の中にきらきらきらきら。きれいでね。“ひょこっ”と拾ってみたりして、拾ったヤジリは私の宝物でした。今はトラクターで耕しているからどんどん下に押し込んでしまうけど、昔は馬で耕していましたから、拾うことが出来たんですね。


黒曜石の原産地の一つ上士幌町に十勝石のギャラリーを
 子供の頃、拾ったヤジリを見つめては「どうやって作ったんだろう?」と眺めてね。そのころから非常に興味を持っていたんです。「十勝工芸社」を始める前は、神奈川で22年間サラリーマン暮らしをしていたんです。父が体調を悪くしたのをきっかけに帰郷したのが1992年のことですからこのギャラリーが出来てちょうど11年目になります。

 就職し神奈川に行って間もなく、東京の考古学博物館で、「これ」(自作のヤジリを手にしながら)を見たんです。博物館に入って真っ先に目に留まる場所に置かれていたのが北海道の「ヤジリ」でした。高校を卒業して首都圏に出て、一番最初に行った博物館の一番人の目に触れるところに置いてあったんですよ。昔のことを思い出しましたね。


ヤジリの輝きに思いを馳せた幼少時代の記憶
 
それから本格的に「ヤジリ」をどうやって作ったのかを研究し始めたんです。
父が十勝石の工場を持っていましたから、父の弟子として教えてもらいながらでした。一年に一回十勝に帰ってきては文献を探し、自ら挑戦しながらの研究。徐々に「黒曜石」のこと、ヤジリにするための「技術」が見えてきました。

 そして、やっていくうちにどんどん不思議なことが、いろんなことがわかっていった。石の特性から・・・。

この黒曜石(石が2つに割れているものを持ちながら)が斜めに割れているでしょ。力を与えると斜めに割れる。この切れた面はカーブしていて大きな円錐を描いている。これが黒曜石の特性。一万年前にヤジリが作れた人は理屈でいえたかどうかはわからないけど、完全に、この石の性質を見抜いていたということだよね。この性質がわからないと、石器は作れない。このヤジリの先も全部。


黒曜石を板状に切り出したら、鹿の『ツノ』の出番
 そして、その石を細かくはがしていくのです。そのはいだ後の面がツルツルしている部分。ヤジリには細かくはがした跡が沢山の面となっているでしょう。(ヤジリを指さしながら・・)ヤジリをはがすのに使った道具は何か。『シカの角』を使って黒曜石をはがしていくんです。『ツノ』には柔らかい随がはしっているのにそのまわりはとても堅い。柔らかい随は、石にひっかかりやすい。このひっかかりやすさとまわりの固さを利用して、石をビィーンとはいでいく。ヤジリはこうして作っているのではないか。というのがわかった。

 角がベストだったんでしょう、堅い木や骨、小さな石でももちろん作れたんでしょうが、角は合理的で「なるほど」です。ヤジリで動物の狩りをするのですから狩りをして得た獲物から「ツノ」を道具として利用するんだから無駄がない。


人間の進歩にとってかけがえのない石「私の石に対する思い」
 
ヤジリは今から早くて3万年前に作られ、そして2千年前には作らなくなったといわれています。金属が入ってきてから、作る必要がなくなりますからね。百年も作らないと人間の技術は伝達されないから。技術は1世代か2世代で途絶えちゃうんです。それなのにどうして石器の技術がわかったか・・・? 

 確か50年くらい前の話しかな、原住民で生き残った民族の中に最後まで石器を作って暮らし、文明と離れて暮らす民族がいたそうです。アメリカインディアンの部族と聞いています。そしてどんどん仲間が死んでいき、生き残った一人がアメリカの都市に現れたそうです。文明社会に来て暮らし始めて博物館に勤め、石器を作って見せたそうなんです。こうして、石器づくり技術を伝え残したものの、体の免疫力がなくて病気になりあまり長生きはできなかったのだそうです。

 人間が猿から人間になったのは600万年前。そして膨大な時間を使って技術を見出した。ドンと叩いて板状の石を作る、そして道具を使って一つのヤジリを作る。石を道具として人間が使い、黒曜石の性質を理解するようになるまでに250万年。この石は石器という形で人類を育てた石だろうと私は思う。そして非常に手を器用にしたんだと思うんだ。


この大地の面白さは、古代ロマン!?
 
日本人がどっから来たのか、日本で発掘されている縄文人の骨のDNAを分析したら、バイカル湖のそばにいる民族とぴったり合っているって話し聞いたことある?台湾の人と一致している人も多くいる。しかし、圧倒的に多くの日本人がバイカル湖のそばにいる人類との関わりが大きい。そのつながりを追うと、3万年前にマンモスを追って狩りをしていた民族だった。

 氷河期が終わって、マンモスが住めない環境になってしまった当時、樺太と北海道は陸続き。その時、ここ十勝の大地はマンモスが暮らすのに適合した地域でそれを追って、マンモスハンター達が移動した。この近くに嶋木遺跡があるんだけど、そこは2万年前の人類がいた痕跡があるところ。そこで発掘されている石器とシベリアで発掘された石器の技法を研究した学者に技術の一致を証明されているんですよ。

 この辺が彼らの生活の場になって、本州の方へ移動していった。古代の人にとって上士幌の自然は黒曜石がとれ、狩猟が出来た。そして、当時ここはサバンナと同じような草原地帯だった。草原になっているから大きな動物が生息できる場所だった。

 この大地はぼくにとってとてもおもしろいんだ。
 古く昔、日本人が非常に豊かに暮らしていた大地であり、東大雪の山があって、糠平湖があって、大雪山があって、然別湖がある。唯一の自然があって、広い平野があって、晴れの確率も非常に高い。ここだけの風景だよ。


のんちゃんレポ
 陶守さんを訪ねたのは十勝地震のあった日(H15.9.26)の9時間後でした。地震の被害が十勝石の作品に被害が出て大変になってるのでは?!そう思いながら向かったのでした。しかし、たまげた!何一つ壊れず被害ゼロというんだから。「作品は固定されて並んでいるのではないからね、地震直後は不安で不安で、真っ先にここに駆けつけたよ。でも何ともなくて安心した。」あれだけの大きな地震だったにもかかわらず、私には奇跡としか考えられな〜い。すると「このギャラリーはね、アイヌの人達に森の守り神とされていた“シマフクロウ”を四隅に置いてるから守られたのかもしれないね」ん〜、とっても納得。そのフクロウの存在感といい、瞳といい。
 ギャラリーに並ぶ作品は東大雪にいる動物(ふくろう、モモンガ、なきウサギ、鹿、熊・・)がモチーフになっている。目が黒曜石の瞳にぴったりと合う。そして宇宙のシリーズもある。その一つに一昨年前の11月29日の夜空を覆った獅子座流星群の作品がある。パソコンで正確に出し、再現した星の数は約3万個。漆黒の石の上に獅子座流星群が表現されている。この技術的な表現には7年かかったというからまたもやびっくり。星一つ一つがダイヤモンドの様にキラキラ輝いている。「石」というとサファイアだのルビーだの誕生石としてよく目に触れるものや、外に転がる石くらいしか想像出来なかった私。「十勝石」だって素敵な宝石だった!


 
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