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■ 上士幌町の開拓
◆上士幌町の開墾はとても大変!
 湿地帯で冷害常襲地帯のうえに、無水地帯の多かった上士幌における開墾営農は、苦難の歴史だったのう。入植者たちは山稼ぎ・炭焼きでようやく生活をたてることが多く、林業と両立しての開墾作業じゃった。各農場の小作農家は自作農創設制度と戦後農地解放によって、やっと自立の緒をつかんだのじゃ。

◆上士幌原野・居辺原野で頑張る安村さん
 上士幌原野及び居辺原野への和人の入植は、1907(明治40)年3月、安村治高丸が上士幌原野に100万坪の払い下げを受けて開墾、牧場経営を始めた。同じころから各地区の入植が散発的に始まっていった。

 大地積払い下げによる牧場経営が多く、日本皮革会社が1911(大正2)年カシワ樹皮タンニン採取を目的に、居辺原野3,750haの払下げたのをはじめ、奥野牧場、安村牧場、前田牧場、松本牧場、滑川牧場などが馬産のかたわら小作人による開墾を行ったそうじゃ。

 また、中小の農場経営も多く、1913年福沢農場325haに続き十勝開墾会社農場800ha、近藤農場300ha、斎藤農場150ha、田中農場370ha、浅野セメント農場300haなどが開設されたのじゃ。

◆広大な上音更原野
 上音更原野は1916(大正5)年区画割が終わり個人、団体入植が盛んになった。集団入植は1913年萩ヶ岡下台への長野団体5戸をはじめ、1917年勢多相馬団体6戸、翌年上音更石狩団体9戸などがあったわい。

 1926年士幌線鉄道が開通、広い原野が注目されてのぅ、1927(昭和2)年発足の民有未墾地自作農創設制度により皮革会社、奥野牧場などが次々と解放されて、1929年磐城団体29戸、台湾団体22戸、翌年勢多相馬移民団32戸をはじめ各地からの個人移住によって農家が増えていったのじゃ。



安村治高丸
 上士幌町開拓の先駆者。富山県婦中町に名家の長男として生まれ、理想を新天地の大酪農経営に求め、1907年上士幌町に入植した。常に新農法に挑戦する先駆者であると同時に、名利蓄財を求めず、小作人に対する待遇ははなはだ寛大で広く尊敬された。

日本皮革会社農場
 皮革の生産に必要なタンニンを十勝のカシワ樹皮に求め、池田に製渋工場を建て、1911年カシワの密生する上居辺原野を農耕地とした。樹皮を採取した後、立木伐採をして水車により鉄道枕木を製材、居辺川で高島まで流送した。

士幌線鉄道
 1922年着工、1925年開通。この路線は旭川までの北海道縦貫線の構想があったが挫折してしまった。開通は糠平温泉の繁盛と木材の搬出をもたらし、勢多水銀鉱、糠平電源開発、十勝三股の風倒木処理などで活況を見せた。自動車運輸の発展によりバス転換して幕を閉じたが、今でもその名残をコンクリートアーチ橋等で見ることができる。