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■ 清水町の開拓
◆国道38号線と清水市街
 ペケレペツ原野には1898年12月、香川県人桑島又三郎ら5戸が入植した。数年後には十数戸にまで発展し、現在の讃岐地区の基礎を作ったのじゃ。同じ年、石狩道路(国道38号)が、上芽室原野からペケレペツ原野を通り、帯広-落合間が開通して便利になって、翌年8月1日にはペケレベツ駅逓所が開業し、村山和十郎が取扱人となったのじゃ。また、1898年には熊牛原野とペケレペツを結ぶ十勝川の下佐幌渡船場も設置されたのぅ。

 また、明治の実業家渋沢栄一の十勝開墾合資会社は、十勝川西岸に932万余坪、東岸に509万余坪の貸付を受け、熊牛に事務所を設置、1898(明治31)年に26戸を入地させて開墾に着手したんじゃ。

◆道路〜石狩道路、日勝道路
 石狩道路開通後、十勝開墾合資会社熊牛農場通路が開かれ、1902年には讃岐団体道路線、1909年にはクテクウシに至る道路が開かれた。さらに現在の日勝道路(国道274号)の必要性を認めて生本昇らが現地を踏査し、以後複雑な経過をたどって1952(昭和27)年に測量に着手し、1955年に着工したんじゃ。

◆鉄道〜テンサイの運搬から
 1907(明治40)年に旭川-釧路間が開通し、同年清水・御影駅が開業した。また、日本甜菜製糖株式会社が工場で使う原料のテンサイを運搬するため、1921(大正10)年に認可を受けて鉄道を敷設したんじゃ。その後、一般運送業を始めるために1922年、河西鉄道株式会社を創立し、明治製糖株式会社清水工場の専用鉄道の譲渡を受け、1925年に営業を開始した。1936(昭和11)年ころは業績も好調じゃったが、利用者が減少し、1946(昭和21)年、十勝鉄道株式会社に買収され、1959年には運行を止めすべての業務に終止符を打ってしまった。

◆学校など
 1901(明治34)年に十勝開墾合資会社のあった熊牛原野に、公立熊牛簡易教育所、1903年には人舞簡易教育所が設置された。
 そのほかにも、1902年に人舞郵便局(局長村山和十郎)設置、1906年に人舞巡査駐在所設置。1923(大正12)年に清水酒造会社が創業しておる。



十勝開墾合資会社
 明治の実業家渋沢栄一が、開墾と牛馬の繁殖を図る目的で設立した開墾会社。施設整備と小作人の指導にあたり、水田事業に成功したほか、牛馬の繁殖を行って利益をあげた。1923年、経営権を明治製糖株式会社に委譲した。

村山和十郎
 山形県東根市生まれ。新得町を開墾した北海道開墾組合の中心者。人舞郵便局(現清水郵便局)初代局長を務める一方、新得開墾の後見人として、厳しい生活を余儀なくされている入植者たちの食糧確保を図り、西部十勝開発に大きく貢献した。

駅逓所
 道の駅にあたり、馬の乗り継ぎや、宿泊所の提供を行っていた。開拓期において、不可欠な整備条件であった。

渡船場
 今のように橋のない時代、川を渡るのは渡舟が頼りで、開拓時代は欠かせない交通機関であった。1907年には、十勝川、札内川、音更川、利別川、然別川などに合わせて40箇所の渡舟があったが、各所に橋ができたことで、その姿を消した。